私は全く手書きと言う物をしなくなった。 パソコンのせいだ。 30歳の頃はすでにワープロ(ワード・プロセッサー)を購入して使っていたので、かれこれ40数年になる。 お馴染みのない若い方の為に説明すると、ワープロとは文書作成専門の簡単な電子機器で、英文ではお馴染みのタイプライターを電子化し、日本語に対応させた物だ。 画面も白黒の小さな液晶パネルだけだった。(カバー写真左側の機器)
趣味で色々な事をやっていてそれらの為に使う事があったし、個人事業で画像処理など専門的に行うようになった事もあったせいだが、今まで購入したパソコンは軽く数十台になると思う。 私は本当にパソコン人間だ。 会社での仕事もすべてパソコンだったし、いくら思い返してもパソコンに手を染めて以来手書きをしたと言う記憶はない。 ハガキも手紙もパソコンだし、あて名書きもパソコンだ。
それが、60歳を超える頃から段々困った事になった。 書けない漢字が増えて来たのである。 読む能力は全く変わらず昔と同じか、経験を積んだ分余計に読める様になっているのだが、とにかく書くのが駄目なのだ。
ある漢字のある部分が例えば「日」だったか「目」だったか「田」だったかわからない、と言う具合だ。 結局パソコンで画面に文字を打って漢字変換して、ズームで拡大して確かめる事になるのだ。 家を出て何かの手続きで書類に手書きで書かなければならない時、漢字の自信がない部分は「ゴチャゴチャ」と書いて誤魔化すしかなくなって来た。
最近はこれに老化が加わって来たのでひどい有様だ。 元々若い時のむち打ち症の後遺症で、肝心の右指にあまり力が入らないので、字を書くこと自体がやりにくくなって来ているのだ。 手紙の封筒の宛名書きとか、宅急便の送り状を作成する時は、かなり気合を入れて立ち向かう事になる。 そんなこんなで益々手書きから遠ざかり、ますます漢字を忘れて書けなくなって来ている。
テレビでお馴染みの「全国各地の視聴者が手紙で寄せた思い出の場所」を自転車で巡る番組があるが、そこで視聴者が寄せた手紙の文面が写される。 ほとんどが手書きの手紙なのだが、手書きを見る貴重な機会だ。 毎回達筆であるのに感心する。 もちろん私だったら100%パソコンで書く。 そもそもあんなに「私が手書きするには気を失う位」長い文章をを手書きする根気は絶対続かない。
毎回写される手紙の文面を見ていると、書いている文章以上に、その字体から書いた人の人柄や性格などの個性が伝わって来るようで、書いた人の顔や姿まで想像してしまう。 手書きの持つ情報の多さに改めて驚かされる。
私のサラリーマン時代の仲間でただ一人、時々封書で手紙を送ってくれる人がいる。 白い縦長の二重封筒に入った縦書き便せんに、万年筆で書かれた手紙が入っている。 その字の形、ペンの流れ方ひとつひとつにその人の性格が反映されている様に感じる。 それを見ていると、まるでその人が目の前にいるようで懐かしく思い出される。 もしその手紙が私がするようにパソコンで書かれていたら絶対そう言う感じる事はないと思う。
私はパソコンで手紙を作成したら、印刷して最後のページには必ず手書きの署名を記している。 せめてもの気持ちだ。 もとより早くから機械式のタイプライターが普及していた西洋では定番のスタイルだ。 しかし余りにも物足りない。
私は既に自分の個性を伝えられるはずであった大切な機能をひとつ失ってしまったのだ。 私が極くたまに無理して手書きで文章を書いたりあて名書きをしたりする機会がない訳ではない。 しかしあて名書きの場合はハガキを2,3枚無駄にしても書き直す事になる。 何かの短い文章の場合、自分でもその出来栄えに嫌悪感を感じるし、とても人前に出す気はせず、二度と書くものかと思う。
妻は慰めか本気かどうかわからないが「下手じゃない。味がある字でとてもいい。」と言ってくれるが、とても言葉通りには受け取れない。
失って初めて手書きの素晴らしさを認識した気がする。 どんなに世の中が進化して更に便利な電子機器が生活の中に浸透して来ても、失っては余りにももったいない物だ。 ほとんどの人は、仮にかなりのスマホ族だとしても私ほど漢字を忘れていると言う事はないと思う。 ならば、是非意識してたまには手書きで文章を書く事をお勧めしたい。