先日お会いした方が「好きな場所って何処ですか?」と唐突に質問をして来た。 私がすぐに答えられないでいると、その方は自分が今まで人生で訪れたいくつかの場所が心の支えになっていて忘れられない、とその思い出の場所を語ってくれた。
私がすぐに答えられなかったのにはちょっと理由がある。 もちろん今まで生きて来て好きになった忘れられない場所はたくさんある。 ただ、好きな場所は想い出と共に自分の心の引き出しに大切にしまってある。 同じような引き出しが沢山並んだ棚があって、自分の心の中の一等地に置いてある。
だけど引き出しの数は増える一方で、一度閉めた引き出しをもう一度開ける事は滅多にない。 しまうのに忙しくて開ける暇はなかった。 そのうち、どの引き出しに何をしまったのか記憶が怪しくなって来る。 こんな状態だから、突然取り出そうと思ってもすぐには出て来ない。
たまにふと昔の楽しかった懐かしい想い出が胸をよぎり、それと共にその想い出の舞台となったその場所が映像となって目に浮かぶ事がある。 すると更に懐かしいそこでの想い出が次々と込み上げて来る。
確かに想い出の場所は決して忘れられない大切な想い出の一ページである。 ところが大概の場合、懐かしさに心が潰されそうになるのですぐ閉じて忘れようとしてしまう。 ちょっと情けない気もするが、基本的に過ぎ去った過去に手を触れるのは苦手だ。
私は人生を楽しもうと自由気ままに生きて来たので、いつも新しい刺激や魅力ある物を求めてあちらこちらに首を突っ込んで生きて来た。 だから忘れらない心躍る想い出は、それをしまう引き出しが足りなくなるほど沢山ある。
それならば、普通に考えると好きな場所は幾らでも頭に浮かんで来るはずなのだが、ちょっと思いを巡らせただけですぐに頭に浮かんで来るものはない。
それは過去のその時の想い出をその「舞台」として飾ってくれる事はあっても、その場所自体が直接私の胸を打ってくれる訳ではないからだと思う。 これはそう言う心の中の整理の仕方をしている私の特徴なのだと思う。
普通の人は、「想い出の場所として心の中の一番上に見出しを付けて並べてある」のではないかと思う。
「想い出と一緒に心の中に並んだ棚の引き出しにしまってある」私は、恐らくまた舞い戻るつもりはなかったので、永い間に引き出しを整理して捨ててしまったか、引き出しの奥に突っ込まれたまま取り出せなくなっているのかもしれない。
舞い戻るつもりのなかった私は過ぎ去った事として忘れ、頭は新しい体験探しの事で一杯だったのだろう。 「二度と逢わないからこそ忘れられない想い出になる」と言ったちょっと洒落た考えも、もしかしたら少しはあったかもしれない。
こんな人生を歩いて来た私が、今になって引き出しにしまう事すらできない好きな場所が出来た。 今まで生きて来た人生で一番好きだと感じている場所だ。 それは老朽化が進み時々きしみ音を出すようになった我が家だ。
もう何処にも行くまい。 老朽化した身体と共に、引き出しにしまう事もなく風化に身を任せようと決めた。