老いゆく社会と、継承の途絶

「皇位継承資格者の極端な減少という制度的危機」を、日本の天皇制の正統性を壊さずに解決するために、国会では真剣な議論が続いている。

男系男子限定、女性皇族の離脱、戦後の宮家大量離脱 ―― これらが重なり、「制度が自動的に皇族数を減らす構造」になった結果としての危機である。

 

しかし、その背景には、皇室に固有の事情とは別に、「そもそも出生数が減少している」という、日本社会全体に共通する現象が横たわっている。

皇室だけが特別に子どもを産まなくなったのではない。社会そのものが、次の世代を生み出す力を失いつつある。その一部として、皇室の危機が現れている。


妻は伊豆大島の出身だ。

彼女が生まれた頃の伊豆大島の人口は一万三千人だった。私が大学の同級生の出身地である伊豆大島に、学期休みのたびに遊びに通っていた頃は、一万人と言われていた。

それが、今や六千五百人にまで減少してしまった。妻の生まれた当時のちょうど半分である。伊豆大島は小さなコミュニティなので、そこで起きていることは手に取るように一望できる。

 

原因は、出生数の減少と、本土の都会への転出である。

そして、出生数の減少に対して増加しているのが死亡数だ。

この数字が物語っているのは、伊豆大島が「若い島」から「高齢者の島」へと推移しつつあるという事実である。

 

国内の地方都市や、それを取り巻く過疎地域では、おおむね伊豆大島と同じような変化が起きている。

私の住む埼玉県飯能市は、東京都内への通勤圏にあるとはいえ、街を歩く人々は、休日であっても若く元気な家族の姿より、ゆっくりと歩く高齢者の方が目につくようになった。もちろん、自分もその仲間の一人である。

 

こうした日常の風景を眺めていると、最近の情勢には少なくとも二つの大きな変化が重なっていることに気づく。

ひとつは、全体の出生数の減少。

もうひとつは、都市への人口集中と地方の過疎化である。

 

この二つの変化を見ていると、かつてこの目で見て驚いたお隣の韓国の姿が重なる。

 

私が初めて韓国を知った1990年代、韓国の人口の八割以上が主要広域都市圏に集中している姿を見て驚いた。しかもその中でも首都ソウルに多くが集中していた。

韓国の地方を旅すると、伝統的な暮らしの姿や文化の香りに満たされていて、そのコントラストが印象的だった。

都市に人が集まり、地方に文化が残る。その分断が、すでに当時からはっきりと目に見える形をとっていた。

 

今でも、同じ基準で日本と韓国の都市人口比率を比較すると、韓国は日本より都市への集中化が極端に進んでいる(68%対92%)。

韓国は、日本より先に「都市集中」と「出生率の低下」が組み合わさった社会の姿を示しているように見える。


都市へ人口が集中すれば、そこでの生活は便利になる。

しかしその一方で、土地や住宅の高騰などの問題が深刻化する。これは、個人が選択する生活スタイル次第という側面もあり、地方では過疎化によって古きよき時代の自然風景が残されるという側面もある。

 

だが、出生数の減少については、そうした「選好の問題」として片づけることが難しい。

迫りつつある棺桶を前に、憂う気持ちでいっぱいになる。

 

要因はたくさんあるだろう。

究極的には、個人がより高い生活レベルを求め、親などの親族から離れて核家族化が進み、夫婦共働きが当たり前になると、回帰的に子どもをたくさん産み育てることが困難になってしまった、という構造がある。

 

そこに拍車をかけているのが、「結婚を必要としない」という価値観の広がりや、性に対する考え方の多様化である。

同性婚を含め、さまざまな生き方が選択肢として認められつつある。

個人には生き方の選択の自由があるのは言うまでもない。人に迷惑や危害を及ぼさない限り、その自由は決して束縛されてはならない。

 

ただ、現象面として捉えるなら、そこには一つの見るべき側面がある。

それぞれに事情や理由があるので、単純に一括りで語ることはできないが、結果として、「自分たちがこの世に生まれてきた仕組みを、意思をもって継承しなかった」という側面があることは否定できない。

生の選択の自由と、社会の自己継承。その二つの価値が、静かにすれ違っている。


翻って海外に目をやると、圧倒的にアフリカ諸国での出生比率(現在の人口に対する出生数)の高さが際立っている。

それは平均年齢が極端に若いことが影響している。出生比率(人口千人あたりの出生数)で見ると、人口増加国はほぼアフリカ勢が上位を占めている。インド・パキスタン・フィリピンなどがそれに次いでいる。

 

一方で、日本・韓国・中国・欧州は出生比率が極端に低く、人口減少が不可避な構造になっている。

このままの傾向が続けば、いずれアフリカが世界人口の中心となることはほぼ間違いないと見られ、百年後には「若いアフリカ」と「老いる東アジア」という対照的な姿が、より鮮明になるだろう。

 

世界の経済的勢力図も、大きく塗り替わることは避けられない。

人口構造は、単に人の数だけではなく、社会の活力、制度の持続可能性、文化の自己再生能力に直結しているからだ。

 

周りを見回すと、今の時代は大きな変化の要因に取り囲まれている。

出生数の減少、都市への人口集中、価値観の多様化、技術の加速。

それらが絡み合い、私たちの社会の「自己継承の仕組み」を静かに書き換えつつある。

 

その変化の速度は、もはや私の歩調とは合わなくなっている。

価値観、インフラ、技術の大きな変革は、既に私に対して場外退場を示唆しているようだ。

 

それでもなお、退場を告げられつつある観客席から、変わりゆく人口の風景と、社会のかすかな息づかいを、もう少しだけ見届けていたいと思っている。

 

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