最後に残された私が、今日も問い続けていること

今日、数年ぶりに甥が我が家を訪れた。ちょっとした用事で立ち寄ることになったのだが、久しぶりに会った彼は、すっかり中堅社員らしい落ち着きを身につけた大人になっていた。その姿を見て、私はふと、自分の家族のことを思い返すことになった。

 

甥は、私より三歳年上の姉の一人息子である。姉は三十代で乳がんを患い胸を切除し、続いて股関節の障害で若くして杖をつくようになった。還暦を迎える頃には全身の体調が崩れ、六十二歳という若さですい臓がんに倒れた。病に追われ続けた人生だった。

 

姉の一家は私の母と二世帯住宅で暮らしていた。娘に先立たれた母の悲しみは、想像を絶するものだったはずだ。しかし母は、葬儀の日でさえ泣き崩れることなく、外見上は冷静さを保っていた。気丈な人だった。しかし今振り返れば、あの沈黙こそが、母の悲嘆の深さを物語っていたのだと思う。

 

私は四十歳のとき、姉と母とともに七十二歳の父を見送った。父は大動脈瘤と胃がんを患っていた。母はそのとき六十四歳で、父との老後を楽しみにしていたに違いない。父は経済学博士として大学で教鞭をとり、学問に生涯を捧げた人だった。

 

その父を失い、続いて姉を失い、最後に母を見送った。母は晩年、父の残したわずかな遺産のおかげで趣味と海外旅行を楽しみ、積み重なった悲しみを忘れようとしているかのようだった。母は八十九歳で天寿を全うした。

 

こうして、最後に残されたのは私ひとりである。

 

父は学問の世界で多くの人に影響を与えた。姉は臨床心理士として患者や家族のために働き続けた。母は家族を支える柱として気丈に生き抜いた。それぞれが、自分の場所で「人のため」に生きていた。

 

それに比べて、私はどうだろうか。私は、自分の興味や快適さを優先し、好きなように生きてきた。誰かの役に立つことよりも、自分の都合を優先してきた人生だった。

 

それにもかかわらず、私は七十四歳になった今も、大病ひとつせず生きている。父や姉のように、他者のために尽くしていた人たちが先に命を絶たれ、私のような者がこうしてなお生を与えられている。この事実を前にして、私は自分に問いかけずにはいられない。

 

なぜ、私は生き残っているのか。

 

近年、神仏の前で敬虔な気持ちになることが増えた。そのせいもあってか、「この期に及んでなお生かされている」という事実の背後に、何らかの意味を感じずにはいられない。もしそれを仮に「運命」と呼ぶなら、その運命は、私に何を見届け、何を考え続けることを求めているのだろうか。

 

父も姉も母も、この世から姿を消した。彼らの生き方も、苦しみも、気丈さも、今や私の記憶の中にしか存在しない。私は、その記憶を抱えたまま、この世界に立ち続けている唯一の人間になった。

 

戦争や事故で、いとも簡単に命を奪われる人々がいる。理不尽な死は世界に溢れている。その中でなお生かされているという事実には、何らかの意味を見出そうとせずにはいられない。

 

私は気づき始めている。

私が生き残った理由は、完成した答えを持つことではなく、とことん問い続けることにあるのではないかと。

 

問い続けることは、死者にはできない。

見つめ続けることも、記憶を語り継ぐことも、生きている者だけに許された営みである。

未完成であるということは、まだ変わり得るということであり、まだ学び得るということであり、まだ誰かに何かを渡し得るということではないだろうか。

 

私は、未完成の自分を抱えたまま、生き続けている。

その未完成さこそが、私の命の正体なのかもしれない。

問い続けること。

見つめ続けること。

自分の生の意味を、最後まで手放さないこと。

 

それは亡くなった家族たちが、私という人間の生き方に投げかけた問いであり、課題なのだろう。

 

だから私は今日もまた、自分に問い直している。

なぜ、私は生きているのか。そして、この命に何を託すのか。

 

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