中学二年生から始まった歴史(日本史)と言う科目、私は第一時間目から嫌いになった。 その女の先生は初めての授業で教壇に立つと「皆さん、なんで歴史を学ぶのだと思いますか?」と全員に尋ねた。 皆が口をポカ~ンと開けていると、その先生は自信たっぷり気に真面目な顔をしたまま言った。 「過去は現在につながり、現在は未来につながる。だから過去を勉強するのです。」
初めての授業での第一声からいきなり格好つけた「理屈」をぶっ放したその先生に対し、教室中から一斉にヤジが飛んだ。 その先生のニコリともしない無表情な顔で進める全く心が通わない授業に、私は第一時間目から歴史の勉強を放棄した。
私はもともと理科系だったので、歴史への関心や興味は低く、その後の高校でも試験の為、丸暗記して切り抜けた。 頭は理科系で趣味もその方面だったが、高校で遊びに現(うつつ)を抜かして大学は一浪しても理科系には進めず、文科系に進んだ。 小さい時の夢は科学者になる事だったが、就職は金融機関に入り、営業の道を歩む事になった。
金融の世界では、国内海外に関わらずすべての業種が取引対象となり、国内外で多様な経験を積む事になった。 国内外の取引先や金融機関から丁重に信頼されて接して貰っていると、やがて自分は世の中を知った様な錯覚に陥って来る。 世の中を分かった気になって、無意識の内にだんだん偉そうに「語る」ようになる。
私の現役時代は恵まれていた。 正確に言うともう一回り上の年代の先輩方が最高の時代を過ごされたと思う。 つまり戦後の高度安定経済成長の恩恵を受けた時代に現役時代を過ごしたと言う事だ。 多少の仕事上で犯した生き方の「エラー」は好調な経済が吸収してくれたのだ。 私の愚かな思い込みも結果的には問題とならずに退職時期を迎えた。
ところで、今の時代は昔とは環境が大きく変わってしまった。 ただひたすら仕事だけを見て、経済的側面だけで世の中を見て分かった気になっていたら、いつかとんでもない事になりそうだ。 今は国際情勢、政治が鍵を握っている。 政治が動けば経済関係など一瞬にしてひっくり返ってしまう。 どうみても第一次世界大戦後110年、世界の政治的歪は限界に達しているように見える。
私はこの歳になって初めて歴史を真摯に学びたいと思う様になった。 昔は全く振り向かなかった日本史も、一から紐解くようになった。 世界史となると学ぶ対象は膨大なスケールになる。 幸い現役時代に世界各国で色々な体験をして来たので、入り口と興味の端緒は持っている。
勉強し始めると、こんなに興味深くて夢中になれる分野があったのかと驚いている。 そして歴史が今の世界を理解し、新たな世界を模索する上でこんなに重要なものであったのかと、今までの自分の無知を恥じている。 中学時代のあの先生には申し訳ないが、あの第一時間目がうらめしい。 思えば全く社会経験のない中学生に歴史の興味を持たせるのは簡単ではないと思う。 何らかの歴史とかのつながりになる物を体験していれば全く違った姿勢で立ち向かえたと思うが、中学二年生ではそれも無理だろう。
「なんで歴史を学ぶのか」と今の私が問われたら「むかしの人が手に入れた幸せと、むかしの人が犯した過ちを知る為」と答えるだろう。 すなわち事例研究である。 中学二年生の生徒には更に「それが分かれば私達はこれから幸せに生きる事ができるから」と付け加えるだろう。 何千年もの間の数えきれない事例があるのに、そこから学ばないのは人間として大変もったいなく愚かな事としか思えない。
「そんな事を気付かせてくれたら良かったのに」とあの先生を懐かしく想い出すが、「過去-現在―未来」のつながりを説いた事自体は間違いではなかった。 工夫が必要だったのは、中学二年生への伝え方だったのだろう。