「夢と希望は挑戦する心から」子ども達からの静かなメッセージ

夢や希望に胸を膨らませていた、そんな若い時代が誰にでもあったはずだ。 孫達を見ていると未来に対する憂いを全く持っていないその姿がとても眩しい。 もとより彼らの頭の中には、「世の中には不幸と言う物があり、それが将来身に降りかかる可能性がある」と言う事すら理解していない。 孫達はそんな夢や希望を忘れかけた私達に、大切な事を気づかせてくれる。

 

人間は歳を重ねるごとに抱く夢や希望の範囲が狭くなって行く。

 

人生の中で自分の生きて行く方向性が出て来て、その中でより具体的なコースが定まって来るに従って、自分の将来の可能性の範囲は限定されて来る。 大きな分かれ道となる機会は、進学と就職であろう。 何を学び、その結果どんな職に就くかで、どんな人生路線を走るか大きく分かれてしまう。 すると夢や希望もその先に描ける物に絞られて来る。

 

お隣の韓国は近代化の歴史が浅く、いくつかの財閥系の企業を除くとほとんど大企業が育っていない。 大企業と多くを占める中小企業の間の処遇格差が大変大きく、大学以前から就活が始まり、若者は真剣になって競争に挑まざるを得ない厳しい環境で育つ。 若い彼らの希望は厳しい「現実路線」で闘いに勝つ事であろう。

 

しかも多くが大学在学中に休学して1年半程度の徴兵制度による兵役義務を負っている。 軍隊では上下関係や規律が厳しく、もともと人間関係が礼儀や上下関係を重んずる文化だったので、兵役期間を体験する事により、更に甘い夢や希望を持ち続ける事は簡単ではない事が伺える。

 

日本では若者の多くはかなり自由な環境で育っている。 日本でも受験戦争は大変厳しいが、諸外国と比べると、入ってしまえば卒業するのは楽だ。 実際に私が留学したスペインの大学では、入学は比較的簡単だが、卒業は真剣に勉強しないとできなかった。 だから学生達は日本の学生より遥かに真剣に一日中勉強をしていた。 「私の学生時代はアルバイトに明け暮れて、稼いだ金で趣味に没頭した毎日であった」と言う話は誰も信じてくれなかった。

 

更に日本では遊んで暮らしても、ほとんどの学生は何処かには就職する事ができる。 しかも、以前は国公立や一部の有名私立大学卒でないと大企業への就職が厳しい時代もあったが、日本の社会文化は、必ずしも学歴に拘らない柔軟性を示して来ている。

 

しかし、その先の就職した後の話はまた別だ。 社会人となってからも遊び暮らそうと思っていたら落伍者になってしまう。 日本は生涯就職と言われるくらい終身雇用が徹底されて来た歴史があり、転職は不利となる事が多い。 海外では転職やキャリア・チェンジは普通に行われていて、それらがキャリア・アップに繋がっている事が多い。 そこが日本の良い所でも悪い所でもある。

 

だから一度就職したら、そこから厳しい競争レースに身を投じて落伍者とならないように、常に会社に忠誠を誓い努力する必要がある。 こういう中で就職後も夢や希望を持ち続ける事をいつの間にか忘れてしまうのだ。

 

日本の社会も少しずつ変化はしており、最近ではフリーランスや個人起業など社会人生活スタイルの多様化が見られるようになって来た。 新たな夢や希望を抱いてチャレンジしようとする人が出て来たのは、戦後の日本の就業形態の歴史の大きな変化だ。

 

一方、大企業で順調にキャリアを積んでいる人が夢や希望で胸を膨らませながら生きているとは限らない。 逆にキャリアを積んでいる人が陥りやすいのが自分のキャリア街道の先しか見えなくなってしまっている事だ。

 

人生でロマンを追い求めるかどうかはその人の自由だ。 別に夢や希望など抱かなくても、普通に幸せに暮らせれば良いと言う考え方もある。 しかし私は、どんな暮らしをしていても、どんな状況に追い込まれても、いつも何か新しい事にチャレンジしていたいと思って生きて来た。

 

その結果何か特別な事が得られたとか、特別に評価されるような素晴らしい人生だったかは分からない。 ただ、それが結実しようともするまいとも、どの瞬間も人生に夢や希望を追いかけて生きて来た。

 

いつの時代も、「新しい事にチャレンジする」気持ちがなければ夢や希望は育たない。 小さな子供達が、「何にも恐れることなく、何にでも興味を持ってやってみようとする、あの姿勢こそが夢や希望を育んでいる」事を教えてくれている。

 

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