その老人は私だった ―― 過去の姿を譲らない老兵

病院で診断を受けたあと、処方箋を持って隣の薬局に行った。大病院なので混みあった薬局の待ち時間は一時間にも及んだ。

いくつもある薬の受け渡し窓口の前には椅子が並び、数十人の患者が自分の番を待っていた。

 

平日ということもあるのだろう。そこには、どこを見渡しても私より年長と思われる人たちで溢れていた。

受付や薬の受け渡しの窓口では、大きな声を上げながら窓口の向こうの白衣を着た若い薬剤師と、同じやり取りを何度も繰り返している声が否応なく耳に入ってくる。

 

ほとんどが男性の高齢者である。傍から見ると、頑固な年寄りが一歩も譲らず、大きな声で自分の言い分を繰り返しているように見える。

 

丁寧に冷静に対応している若い薬剤師や係員に対し、同じことを何度も確認したり、相手の説明に納得できず不満を繰り返したりしている。

聞いているこちらの方が苛立ちを覚えてしまうほどだった。


私が見かける限りでは、こうした場面で声を荒げているのは男性の高齢者が多いように思う。女性の場合、理解できずに困った様子で質問を重ねている姿は見かけるが、男性とは随分異なっている。

 

いま高齢者となっている世代の多くの男性には、それぞれの職場で責任を負いながら生きてきた過去がある。歳を取り、身体の衰えを自覚すればするほど、かつての自分のプライドがそれを覆い隠そうとする。

その結果、必要以上に強く振る舞ってしまうのだと思う。

 

若い職員たちを見ると、自分が若かった頃への懐かしさとともに、どこか羨ましい気持ちも湧いてくる。そこに過去の自分へのプライドが加わると、相手は部下でも後輩でもないのに、つい背伸びをしたくなる。

そんな感情が態度に現れてしまうのだろう。

 

この複層的な感情は、当事者でなければ容易には理解できないのではないかと思う。

 

私がなんでこんなにも断定的に語るのか、不思議に思う人もいるだろう。

その理由は、私自身もその年配男性の一人だからである。


私はここで恥を忍んでお話ししよう。

一ヶ月ほど前、私にも似たような経験があった。

発送したい宅急便があり、その営業所を訪れたときの話である。

対応に出たのは五、六十代に見える女性だった。私には、少々融通が利かなそうに映った。

 

案の定、少し面倒な手続きの中でこちらの意図がうまく伝わらず、状況にそぐわない対応に思えて私は苛立った。

本当は穏やかに話せば良かったのに、つい声を荒げてしまった。

私なりに一線は越えまいと思っていたが、相手から見れば十分に不快な態度だったであろうと思う。

 

そのとき私の頭の中にあったのは、仕事で自信を持って振る舞っていた頃の自分の姿だったと思う。私から見れば要領を得ない対応を続けるその女性を、どうしても見過ごせなかった。

自分は老兵になってしまったという寂しさが、そんな気持ちに拍車をかけていたのではないかと思う。

 

恥ずかしい振る舞いだった。

営業所を出て車に戻ったあと、私は何とも言えない居心地の悪さを覚えていた。


私があの日営業所でとったような態度は、決して私だけのものではない。

薬局で見かけた高齢男性たちの姿にも、その一端を見ることができた。

 

その原因も背景も、私にはよくわかる。

だが、それは周囲から見ても、自分自身から見ても、決して気持ちの良いものではない。

 

この歳になって、自分という人間を汚したくないと思う。

それでもときどき、過去の自分を手放せていない自分が顔を出す。

 

薬局で声を荒げていた老人たちを眺めながら、私はその中に自分自身の姿を見ていた。

 

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