脳内出血で右半身に麻痺が残りながらも、左手だけの演奏で復帰した世界的ピアニスト、舘野泉(たての いずみ)さん。
ジストニアによって右手が不自由になった後、左手のためのピアノ音楽の普及活動を続けながら、自らも演奏活動を続けている智内威雄(ちない たけお)さん。
二人に共通するのは、左手には左手独自の音楽があると考え、「できなくなったこと」ではなく、「まだできること」に人生を賭けたことである。
人は何かを失うと、不幸になったと思いがちである。 しかし世の中には、失ったからこそ新しい世界を見つけた人もいる。
自由であれば、より優れた作品が生まれるとは限らない。
むしろ芸術の歴史を振り返れば、多くの創造は制約の中から生まれてきた。
完全に聴力を失ったベートーヴェンが作曲した交響曲第九番、同じく聴力を失ったスメタナが作曲した交響詩『我が祖国』は余りにも有名である。
左手のピアニストは、そのことを私たちに思い起こさせてくれる。
十本の指が使えないからこそ、一つひとつの音に耳を澄ませ、限られた手段の中で豊かな表現を追い求める。 その姿は、人生そのものにも重なるように思う。
この二人の活躍を知ったとき、私は驚きと同時に、大きな励ましを受けた。
私は、高校時代、体育の授業中のトランポリン事故で頸椎を痛め、鞭打ち症の後遺症を抱えることになった。それが近年になって悪化してきた。
MRI検査では頸椎から出る神経の圧迫が確認されており、その影響なのか、この数年で右手が急速に不自由になっている。握力がかなり低下し、五本の指も思うように動かしにくくなった。
こうしてキーボードを打つときでさえ、右手は人差し指と中指しか使えない状態である。
実は、一年半ほど前、若い頃を思い出してヴァイオリンを弾き始めた。
ところが、演奏は次第に困難になっていった。
気がつくと、右手で弓を正しく持つことさえ難しくなっていた。ただでさえ、弦楽器の弓遣いは繊細で難易度が高い。この障害は致命的だった。
始めた当初は、六十年前の記憶をたどりながら、ようやく「マイ・ウェイ」が弾けるようになった。妻のピアノと合奏できるようにもなった。
とても人には聴かせられるような演奏ではなかったが、それでも音楽を奏でることは楽しかった。
しかし次第に弾きづらくなり、特に寒い冬になると自由が利かなくなった。弓を持つことすらできない日もあった。
一度はあきらめかけたが、冬を越して暖かくなると症状はやや改善した。必死に続けた右手の筋力訓練が効いたのか、ごく短時間なら何とか弾けるようになっている。
それでも、もし神経障害がこの先も進行するのなら、自分が理想とするような演奏はまず望めないだろう。
満足のいく演奏を目指して技術を磨くことなど、到底かなう話ではない。
そうなれば、買ったばかりのヴァイオリンは、ただの飾りになってしまう。
そんなとき、この二人のピアニストの存在を知った。
さっそくYouTubeでその演奏動画を見て、その音楽に耳を傾けた。
人間の指が最初から五本しかなかったとしても、ピアノという楽器は生まれていたかもしれない。
そう思わせるほど豊かで説得力のある演奏だった。
ピアノとヴァイオリンでは事情が違う。
同じ右手の障害であっても、演奏への影響はまったく異なり、単純に比較できるものではない。
少なくともヴァイオリンは、ギターと同じで左手だけでは音そのものを出せない。
また、残された能力を精一杯使ったとしても、自分が理想とするような演奏に到達できるとは限らない。
それでも、同じ楽器に向かう者として学ぶところは大きかった。
無いものを嘆き、あきらめるのではない。
今なお残されているもので何ができるかを考える。その姿勢こそが大切なのだと思った。
そうすれば、きっと予想もしなかった新しい音が聴こえてくるかもしれない。
人は失ったものばかりに目を向けがちである。しかし、その制約の中にしか存在しない世界もある。
左手には左手の音楽がある。
それはピアノだけの話ではない。人生にもまた、それぞれの制約の中でしか奏でられない音楽があるのだと、左手のピアニストたちは静かに教えてくれている。