誕生させる者に課せられた、産みの苦しみ

男の私が、世の中の女性を偉大だと思うのは、苦しみを厭わずお産に立ち向かおうとする、強い決意と勇気である。

それは、男には想像することはできても、決して身をもって知ることのない、命を懸けた体験なのだろう。

 

妻が初めての子を出産した直後のことである。病院で待機していた義母と一緒に彼女に会った。お産を終えた安堵感からか、妻はニコニコと微笑んでいたが、その出産がただごとではなかったことは一目で分かった。

 

義母も私も絶句した。

妻自身は知る由もなかったが、その顔には無数の内出血による赤い斑点が広がっていた。お産の壮絶さは、その顔を一目見ただけで十分に伝わってきた。

 

私は驚いて一瞬たじろいだだけだったが、義母は複雑な表情を浮べていた。

帰りの車の中で「女なら誰もが通る道なのに、それくらいで顔中を真っ赤にしてしまうとは情けない」と口にした。

義母自身もまた同じ苦しみを経験してきたからこそ、あえてそう言ったのかもしれない。

 

普段の妻は、決して気丈な性格ではない。何かあればすぐ不安を口にする。

そんな妻がどれほどの苦しみに耐えぬいてきたのか。その顔が雄弁に物語っていた。

 

妻の話によれば、あまりの大声に口へ布を詰められたほどだったという。

その壮絶さを物語る顔とは対照的に、本人は何事もなかったかのようにケロッと笑っている。

その姿がかえって痛々しく、また頼もしくも見えた。

 

妻が本当に偉大に見えた瞬間だった。


子どもは、多くの人にとって人生最大の創造物のひとつである。

 

翻って、絵画、彫刻、音楽、文学をはじめとするあらゆる芸術作品もまた、人間が生み出すものである。

 

多くの芸術家は作品を産み出す過程で苦しんだと言われる。

 

何を表現したいのか自分でも分からず模索する苦しみ。

頭の中にあるイメージを思うように形にできない苦しみ。

そして、世間から理解されない苦しみ。

創作の苦しみにはさまざまなものがある。

それでも人は、その苦しみを引き受けてまで何かを産み出そうとする。

 

出産と芸術創作を同列に語ることはできない。

しかし、どちらも新しい生命や価値をこの世にもたらす営みであることに変わりはない。


芸術家はひとつの作品を苦しみの中から誕生させるそうだ。言い換えると、誕生させるのには必ず苦しみが伴うそうだ。

最近ものを書くようになって、その感覚が少しだけ分かるような気がしている。

もちろん、私の書くエッセイを芸術と呼ぶつもりはない。それでも、自分が思考を重ね、形にして残そうとする以上、それは私なりの小さな「作品」なのだ。

 

私にも創作意欲がある。

どんな話を形にしようかと悩み、考え続けることがよくある。

いくら考えても答えが出ず、芸術家でもないのに「自分の才能はもう枯れてしまったのか」と不安になることすらある。

 

本来なら口にするのも気恥ずかしい話だが、実際に何度もそんな思いに襲われてきた。そのたびに、歯を食いしばり考え続け、書き続けることで何とか乗り越えてきた。

 

ものを創るという営みは、自分の心の奥にある形なきものに向き合い、それを外の世界へ引き出そうとする作業である。その過程には迷いもあれば苦しみもある。

 

子を産むことであれ、作品を創ることであれ、新しい何かをこの世に誕生させようとするとき、人はそれぞれの「産みの苦しみ」を経験する。

それでも産み出そうとする意志こそ、人間の持つ創造の力なのだと思う。

 

産むということは、そういうことなのだ。

 

 

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