最近、身の周りの生き物に対する気持ちや想いが大分変って来た。 以前だったら全く気にしなかった生き物に対しても、ある種の愛おしさを感じたり、命を大切にしてあげたいと想う様になって来た。 この変化には自分でも驚いている。
毎朝散歩していると色々な生き物に出逢う。 毎度おなじみの犬達(いぬだち)は遠くから私を見つけて尻尾を振って頭を下げながらこっちに寄って来るが、犬ばかりは昔から大好きだった。 ただ今はその気持ちが格段に強くなっている。
手綱を引いて散歩の途中の飼い主は、一緒に嬉しそうに立ち止まってくれるが、撫でたり鼻に口を近づけたりする私をしばし見守った後は、「さぁ、行くよ!」と言って手綱を引いて去ってしまう。 私が心を惹かれるだけではなく、「犬だってこちらを見て別れを惜しんでいるのに」と、毎回ぐっと来る瞬間だ。
散歩コースの途中にあるお寺には、蓮の葉がたくさん浮かんだ大きな池がある。 その脇を通ると、あれよあれよと言う間に鯉が寄って来る。 何匹も私の前に寄ってきて口を水面に出してパクパクする。 餌をもらいたくてそうしているのだ。
池の横の立て札には「決められた餌以外は与えないでください」と書いてある。 餌は社務所で1回分100円で売っているのだが、早朝はまだ閉まっている。 あのパクパクの口を見ていると可哀そうでたまらなくなってしまう。 そう分かっていても毎回池の前で立ち止まる。 鯉達が可哀そうなのだ。 あまり長い間は見てられず立ち去る。 生まれてこの方、こんな鯉のしぐさを見て可哀そうと思った事はただの一度もなかった。 面白がって見ていただけだった。
付近を流れる入間川のちょうど水深がちょっと深くなった場所にかかった橋を渡る時も、上から見下ろすと悠然と泳いでいる体長1メートル近くある立派な鯉の姿にしばらく見とれている。 先日は雨の後で水量が増して流れも速かった。 良く見るとあの鯉たちが流されないように上流に向かって必死に身体をくねらせていた。 立ち止まってしばらくその姿を見ながら「頑張れ!頑張れ!」と応援していた。
1ヶ月くらい前には立て続けに道路上に車に轢かれた無残な死骸に遭遇してしまった。 相互通行だが中央車線のない舗装路の真ん中に異様な物を見つけた。 最初はなんだろうと思って覗き込んだが、割れた甲羅があったので車に潰された亀の死骸だとわかった。 体長15センチ位はありそうな立派なカメだった。 一瞬目をそむけた。 どうしようかと迷ったが、ゴミ拾い中の私は思い切ってトングでその死骸を摘まみ上げレジ袋に入れた。
あのまま放置すれば、何度も何度も車に轢かれ続ける事は明らかだった。 例え拾って帰宅後ゴミと一緒に出されても、その方が遥かにましだと思ったからだ。 あろうことか、その翌日にはほぼ同じ場所で大きなガマ蛙が轢かれて死んでいた。 昨日の亀より悲惨な姿だった。 一度はやり過ごしたが、やはりそのまま立ち去る事はできず、戻ってトングでレジ袋に拾い上げた。
今朝、いつものお寺の寄ろうとしたら、門前でザリガニを見つけた。 なんと寺の門から車道に向かって身体を大きく立ててハサミのついた両手も高く上げていた。 明らかに怒りと威嚇の姿勢だった。 一目ですぐ先の寺の蓮池から出て来た物とわかった。 駅近くのお寺の前の車道にでたらひとたまりもない。
しかし心配する私に対してまで威嚇する姿を見て、そのままやり過ごして境内奥の本堂前で参拝をした。 やはり気になる。 あの勢いならもう車道に出て轢かれてしまっているだろうと思われた。 なんで救ってやらなかったのだろうと、後悔しながら門まで戻った。 そのザリガニはまだ同じ場所で外の通行人に向かって威嚇を続けていた。 「ああ良かった!」と今度は迷わずトングでそっとザリガニの胴体を上から掴み、そのまま池まで行って中に落とし入れた。 間に合って良かったと思った。
そう思ったのも束の間、寺のすぐ前の踏切を渡ろうとしたら、2本の線路の間を埋める構造物と線路の間の隙間に、轢かれたばかりの大きなガマ蛙の死体があった。 私は迷わずトングで摘まみ上げた。 横を通った中高生の女の子が目をそむけて足早に去って行った。 さすがに私も躊躇してしまったが、ぐっと堪えてそっとレジ袋に入れて連れ帰った。 あのまま放置していたら、終電を迎える前に粉々になってしまったと思った。
たまたま遭遇しただけなのに、身の周りにこんなに見過ごせない事がたくさんあったのには私も驚いてしまった。 恐らくそれは今までも同じように遭遇していたのに、気にも留めなかったか、気付いてもそのままやり過ごしていたのだろう。 ただ、最近の私はそれを見過ごすことが出来なくなってしまった。
池でお腹を空かせて口をパクパクしていた鯉も、川で流されまいと必死に泳いでいた鯉も、すんでの所で悲惨な目に会いそうだったザリガニも、運悪く不幸な目に遭ってしまった亀や蛙たちも、もし自分が彼らだったらと想像してしまう。
彼らの姿を見て、それが自分だったらと置き換えてしまうのだ。 彼らも自分も同じ生き物だ。