私の従妹の父は、一代で町医者から大病院を築いた偉大な医者だったが、九十九歳まで健康なまま人生を送った。
晩年は息子に病院の実務を任せ、自分は第一線を退き、毎日病院の一室に設けた自分の「研究室」で興味を持ったことを研究したり、自由な時間を楽しんだりしていた。
従妹の話では、叔父は最後までストレスフリーの晩年を送っていたそうだ。親も兄弟も、そして配偶者も医者に囲まれて生きてきた彼女は、自信を持って私に語る。
「健康にはストレスフリーが一番大事よ」
確かにそんな話はよく耳にしてきたし、それが生理的によい影響を与えることは素人でも想像できる。
先日もLINEのチャットでそんなことを言われ、なんとなく気になって思い返している。
なぜ気になるのかというと、私は自分がストレスフリーなのか、それともストレスの権化なのかが分からないからなのである。
妻は、私は間違いなくストレスフリーだと言う。しかし私には「それはそうだよな」と思う自分と、「そんなバカな」と思う自分がいて、どちらが真実なのかまったく判断がつかないのだ。
私は若い頃から、自分が好きなように、思った通りに自由に生きてきた。社会通念から外れたことであっても、初めから否定せずに考える生き方をしてきた。
その意味では、私がストレスを抱える要因は少ない。これでストレスでいっぱいだと嘆いたら、自分をあるべき姿に抑え込み、ときには思ったことさえ飲み込みながら生きてきた人たちに顔向けできないだろう。
しかしその一方で、考えていることはいつも自分の好きなように考えているのだが、その考えのおかげで頭が休まることもないのである。
その従妹は、三人の男兄弟に囲まれて育ったせいだろうか、めそめそしたところがまったくなく、いつも「ど~~ん!」と構えている楽観的な女性だ。
一方の私は、十分に準備をしていても、いつも最悪の事態を想定してしまう心配性なところがある。
いつも夜寝ながら夢で現実の続きを見ているし、こうして書いているエッセイの文章を一生懸命推敲している夢を見ることもある。
寝ていても少しも休んでいないようなのだ。もちろん、うなされているわけではない。しかし私の脳は、寝ても覚めても活動を続けているような気がするのだ。
朝、目が覚めたときに、
「あぁ、よく寝た。朝だから起きて活動するか。」
と思うことはまずない。
むしろ、
「あぁ、疲れた。夢だったのか。さて現実の世界で本当に活動するか。」
と思うことの方が多い。
ぼんやり音楽を聴いたり、庭の木を眺めていたり、そんな日々を送る。私には、そういう日々こそがストレスフリーな生活のように思えるのだが、自分には憧れることはあっても、どうやら縁のない世界なようだ。
もっとも、ストレスはすべて悪者というわけでもない。人を前へ進ませる力になることもある。
つまり、ストレスフリーが推奨される本当の意味は、過度なストレスが健康に悪影響を及ぼすことへの警鐘なのだろう。
何歳まで健康で生きられるのかは分からない。
自分がストレスフリーなのか、それともストレスの権化なのか、今も答えは出ていない。
もしかすると私は、ストレスを抱えているのではなく、ただ考え続けているだけなのかもしれない。