けたたましいサイレンの音が近づき、また去っていく。それも一台や二台ではない、何台もの緊急車両が家の前の広い道を走り抜けていく。
あまりに台数が多いので、二階の階段脇の窓を開けて道路の方を覗いた。
赤灯をつけたパトカーが三台連なって走り去る。まだサイレンが近づいてくる。今度は救急車だ。
何台の緊急車両が通り過ぎていったかわからないが、かなりの数だった。
何が起こったのだろう。
私は高校時代に熱中した警察無線のことを思い出した。
六十年前なら、このような出来事が起きたときも、警察無線をはじめとする緊急無線を受信すれば、その様子を誰でも知ることができた。しかし現在ではそれは不可能である。
警察無線は、警察本部と管区内の移動無線局、すなわちパトカーとの間で交わされる無線通信である。
当時は簡単な無線受信機さえあれば、警察無線も消防無線も救急無線も聞くことができた。周波数を切り替えるだけでよかったのである。
私の住む埼玉県では、都内の警視庁管内の無線も良好に受信できた。
私は事件事故の内容そのものよりも、きびきびと整然とした無線交信の独特なリズムに惹かれていた。
「警視庁から警視525!」
「警視525です、どうぞ!」
「警視525にあっては、至急現場に急行の上、・・・・・・・をされたい!」
「警視525了解!」
「以上、警視庁!」
そんなやり取りである。
文章ではなかなか表現できないが、そこには独特のイントネーションがあった。例えばマイクを返すときの「どうぞ!」は「ど」にアクセントが置かれ、ぐっと音程が上がる。その響きはどこか音楽のようでもあった。
その一方で、会話は終始、感情を排した文語調で交わされ、そこには人間臭さや情緒の入り込む余地はなかった。まるで冷徹な規律によって支配された別世界の言語空間のようだった。私はそんな非日常的な世界にすっかり魅了された。
一日中、手に汗を握るドラマが展開する警察無線の傍受に、私は夢中になっていた。
私の耳にはあれから六十年近く経った今も、あの緊迫に満ちた独特な無線交信の響きが残っている。
しかし、この警察無線に代表される緊急無線は、現在ではほとんど受信することができない。
これには歴史的な経緯がある。
昭和四十年代の学園紛争や全共闘運動、過激派によるゲリラ事件の時代、極左暴力集団などが市販の受信機を用いて警察無線を傍受し、警備の裏をかく行動をとったためである。
これに対し警察は「秘話装置(ひわそうち)」と言う仕組みを導入した。特に秘匿性の高い通話内容になると、一時的にこの装置を働かせ、受信側で解読装置がないと「ごにょごにょ」とした音がするだけで内容がまったく聞き取れなくなるものだった。しかし当時の秘話方式はアナログ処理による比較的簡易なものであり、解読も決して不可能ではなかった。
その後さまざまな重大事件やテロ事件が相次いだこともあり、警察は無線通信の秘話化に本腰を入れて取り組むようになった。
そして警察無線は、従来のアナログ式通信から、事実上傍受が不可能なデジタル通信へ移行していった。
その結果、緊急無線を傍受する手段は完全に失われ、私が大切にしていたアナログ式受信機はただの箱になってしまった。
私は、当時アマチュア無線を通じてアメリカの無線局と毎日のように交信を楽しんでいた。そのため、この話題についてアメリカ人と語り合う機会もあった。
私が驚いたのは、当時のアメリカでは私のような「マニア」だけでなく、多くの一般市民が警察無線を日常的に傍受していたことである。
彼らは、それを決して「盗聴」とは考えていなかった。むしろ、「市民による警察活動の監視」という当然な行為であると語っていた。
アメリカでは、警察の活動を市民やメディアが把握できるようにするという透明性の高い文化が古くから根づいている。そのため、警察無線の暗号化については現在でもさまざまな議論が続いている。
その結果、ニューヨークやロサンゼルスなど暗号化へ移行する自治体もある一方で、現在でも傍受ができる地域が残されている。
警察活動をできる限り市民の目にさらそうとする発想に、私は当時の「世界の民主主義のリーダー」たるアメリカという国の力強さを感じていた。
だからこそ、近年のアメリカ社会の分断や混乱を見るたびに、複雑な思いを抱いてしまう。
あの頃、警察無線の向こうに感じていたアメリカは、自由で開かれた社会の象徴のように思えた。
国民の安全を守るため、赤灯を回しサイレンを響かせながら疾走する緊急車両の姿を見ているうちに、私は遠い日の記憶へと引き戻されていた。