私は長い間、自分がどれほど恵まれていたかに気づかずに生きてきた。結婚し、二人の子どもに恵まれたことも、当時はごく当たり前のことのように受け止めていたのである。
結婚してすぐ、立て続けに長女、そして長男を授かった。何の苦労も心配もなく、私たちの期待を待つまでもなく現れた二人だった。
自らの腹を痛めた妻はきっと違う思いを抱いていたに違いないが、当時の私はそれを特別な幸運とも思わず、結婚すれば自然とそうなるものだと受け止めていた。
初めての転勤で実家を離れ、大阪での新たな生活に心を躍らせながら、新婚の日々を楽しんでいた頃のことだ。
休日になれば自作のキャンピングカーに家族を乗せて自然の中へ飛び出し、幼い娘を風呂場の脱衣籠に入れて河原に寝かせ、デイキャンプを楽しんだりもした。
その後、息子も産まれた。
子どもたちはもちろん可愛かったが、宝物のように抱きしめ、子ども中心の生活を送っていたわけではなかった。
当時の私は、子どもを授かることの価値を深く考えたこともなかった。
学生時代、遠い親戚にあたる三十代の女性に初めて会ったとき、「わたし、赤ちゃんが欲し~い」と熱い夢を見るような瞳で見つめられ、一瞬ドキッとしてたじろいだことがある。
結婚相手のことよりも先に子どもを夢見る女性がいるのだと知った、初めての経験だった。
しかし、その意味を本当に理解したのはずっと後になってからである。
あの頃の自分がどれほどの幸福の中にいたのか。それに気づいたのは、成長した二人の子どもが結婚し、それぞれが可愛い孫たちを抱かせてくれたときだった。
それまで幼子を見て特に心を躍らせることなどなかった自分が、孫たちの無垢であどけない仕草にこれほど心を奪われるとは想像もしなかった。
孫たちと遊び、一緒に写真を撮り、しみじみと幸せを噛みしめる日々。気づけば、家の壁やピアノの上には、孫たちの写真がずらりと並ぶようになった。
やがて、その写真の隣にある「もう一枚の幼子」に目が留まるようになった。
孫たちの親である、我が子たちの幼い頃の写真だった。
見れば見るほど、吸い寄せられるように心が奪われた。どこまでもあどけなく、うれしそうに親を見つめる姿は、まるでこの世のものとは思えない天使のようだ。
こんなにも愛らしい存在が目の前にいたというのに、そのかけがえのなさを十分に理解しないまま日々を過ごしていた。当時の自分を思うと、今さらながら胸が締めつけられる。
近くに住み、頻繁に顔を出してくれる娘に、あるとき思わず詫びたことがある。
「こんなに可愛かったのに、もっともっと可愛がってあげなくてごめんね。」
心の内を正直に明かすと、娘は
「いまさらそんなこと言われたって・・・」
と言って可笑しそうに笑った。
周囲を見渡せば、生涯独身を通している友人もいる。望みながらも子宝に恵まれなかった親戚もいる。
私はずっと、自分が与えられていた幸運の大きさを十分には理解しないまま生きてきたのだと思う。
当たり前だと思っていた日々が、実はかけがえのないものだったと後になって気づかされることがある。
私にとっては、まさにそうだった。