黒い巨人の慟哭

歴史は次から次に思い出を刻み、後世に残していく。

私の記憶の中に、とりわけ幼少時の記憶の中に残る、得体のしれない怪力を秘めた巨人のような存在が蒸気機関車、SLである。

 

歴史が残してきたものを一つひとつ拾い集める必要もない。

しかし、SLを知らない世代が世の中の大半を占めるようになった今、これだけはその存在を知っていてほしいと心から願う。

知るべきであり、知らなければならないと思う。

 

歴史に名を残した偉人はたくさんいる。

それは去ったからと言って忘れるべきでない人たちだ。この世のかけがえのない存在として、心に刻むべき姿だから偉人として語られ、本にもなって残り続ける。


SLは人間が造った巨人のような生き物だ。私は、人がなんと言おうと、SLは呼吸して生きていると思っている。夜、機関区で休んでいるときでも、休みの日でも釜の種火は絶やさない。一度呼吸を止めると、再び息を吹き返すのに何時間も時間を要するからだ。

出番が近づくと釜に石炭がどんどん放り込まれ、心臓は大きな鼓動を取り戻す。

 

人間が力を出して踏ん張るときには鼻から口から息を吐き出すように、真っ白な蒸気を車体の横の線路脇に向かって激しく噴き出して、車体の一番前の両側にあるシリンダーで、両輪に力を伝えるために排気と吸気を繰り返し、そのたびに「シュッ、シュッ」と音が響き渡る。

 

力を伝え終わった大量の蒸気は、煙突に導かれ、その激しい勢いが石炭が燃えた排気煙を呼び込んで一緒になり、頭の上に「ボッ、ボッ」と真っ黒な大量の煙を噴き上げる。

そこでSLの走る音、「シュッ、シュッ ポッ、ポッ」が生まれる。

 

それは巨人が仕事をするときに歌う「鼻歌」なのだ。

 

SLには大音響を響かせる汽笛がある。

蒸気を使って大きな笛を吹き鳴らすので、腹の底に響くような強大な音を遠くまで鳴り響かせる。笛と呼ぶにはあまりにも野太い声だ。

「ボェ~~ッ」と響き渡り、苦しさに喘ぐ雄たけびと、それでも突き進む潔さを辺り一面にまき散らす慟哭の声だ。

昔は踏切には警報機も無かったから、遠くから接近を知らしめなければならなかった。その期待に十二分に応える頼もしさだ。


あのSLが、もう少し謙虚で、真っ黒で大量の煙を辺り一杯にまき散らさず、おとなしく走っていたら、ジーゼル機関の発明は遅れ、SLの生命はもう少し長く続いていたのかもしれない。

でもあの鼻歌と慟哭がなかったら、SLは生命の営みを続けることはできなかったであろう。

 

人類が歴史に残した始めて世に送った人造生命は、まさに歴史に残る革命的なできごとであった。「その怪物がその後の世の中の経済活動や技術開発に果たした役割」を語らないのであれば、それは歴史の怠慢であるとしか言いようがない。

 

最後に、もし今この巨人の姿を間近に見て、リアルに知りたいと思うのなら、ぜひお勧めしたい映画がある。

『男はつらいよ』(寅さん)の第五作「望郷篇」だ。

日本のSLの代表格「D51」の姿と迫力を余すところなく見て感じることができる、今となっては大変貴重な作品だ。

私が描いたSLの姿が、夢や誇張でなかったことを知ることができるだろう。

 

 

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