またか、と耳をふさぎたくなるような、大国のリーダーによる恥を知らない横暴な発言と行動。早く政界から退場してほしいと願っている世界の人々は決して少なくないだろう。
気に入らない他国のリーダーに向かって「お前は世界で一番嫌われているのを知っているか」と言い放つという、笑い話にもならない暴言まで公の場で発せられている。
歴史を自国の支配に都合よく塗り替えようとする露骨な言動を見ていると、結局、人間は権力を与えられれば、その権力が大きければ大きいほど自らの欲望に振り回される、という現実を思い知らされる。
国内でも、あちらこちらの市長がみっともない不祥事を引き起こしている。
政界経験のない一民間人であっても、思い立って手を挙げ、地元の支持を得ることができれば市町村長になれる。その割には大きな権力を持つため、玉石混合の世界となっている。
幸いにも、私の地元の市長は人間性に優れた人物が選ばれている。
しかし、権力を手にした途端に「我が意を得たり」と脱線してしまう素養の備わっていない人物が混じっていることは、各地の不祥事が証明している。
巨大な権力を手にした大国のリーダーが狂ってしまうことに、不思議は感じない。
権力の座にいる政治家だけではない。権力を持たない若者であっても、欲望が理性を上回れば同じ逸脱が起こる。
毎日のように報じられる詐欺や窃盗の事件。何億もの大金を手にした、などというニュースが一日として報じられない日はない。
高校生や二十代の、これからの日本を担うはずの青年たちが犯人であることも多く、「情けない」の一言に尽きる。
自分が必死に夢を追って輝いて生きていたあの時代を、なぜ自ら泥を塗って捨てようとしているのだろうか。
まわりを見渡せば、虫けらですら生きるために縄張りを守り、欲するままに他の生命を食い漁っている。
人間以外の世界には、「道徳」という概念はない。生き物は自らの欲望を抑えることなくぶつけ合っている無法地帯に生きている。
人間が道徳という概念を持ったのは、食物連鎖の頂点に立つために「相互扶助を可能にする共同生活」を実現しようとしたからだ。
単に集団生活をして群れを守るだけなら動物にも見られる行動だが、人間には牙も角も巨体もなく、素手では猛獣に敵わない。
その代わりに、神様は知恵を授けてくれた。
知恵によって食物連鎖の頂点に立つためには、共同生活体である社会を安定・強固なものにする必要があった。そのために不可欠だったのが、欲望の制御である。
ここに、道徳という規範が生まれた理由がある。
いまニュースを賑わしている好ましからざる人々は、こういった社会生活の基盤として人間が絶対に必要としている「心のルール」という道徳・規範の総体を失った人たちである。
人間は、「規範は守りますから共同生活の一員として産まれさせてください」と懇願して産まれてきたわけではない。
もちろん人間を機械製品と同一視することはできないが、社会の中には一定割合で規範を内面化できない人が生まれるという現実は否定できない。
人間はアナログ的存在なのでデジタルのように一時の判断で単純に評価することはできない。成長過程や、人生経験の中で、持って生まれた心の危険因子が首をもたげる例も多いだろう。
結局、対処療法として、「不良品を発見したら回収して修理する」しかない。しかし、権力の座についている政治家に対しては、その地位が高いほど対処が難しい。
人間社会には古くから、この矛盾に正面から取り組んできた思想がある。
その代表格が、欲望からの開放をめざした仏教である。
欲望の暴走こそが人間社会の矛盾の源であるとするなら、欲望からの解放を説いた仏教は、この問題に最も正面から向き合った思想である。
世界には数多くの宗教が存在しているが、この点で私は仏教の偉大さを強く感じている。
そしてその文化が浸透している日本に生まれ育ち、その環境に身を置いていることにわずかな救いを感じている。