「人を信じて疑わない性格」の功罪

昨日も妻は悪意の電話に気づかなかった。

私の部屋に、通話中のスマホを手にして入って来て、こう言う。

 

「大事な電話みたいなんだけど、よくわからないから代わって」

 

私は心の中で「またか」とつぶやいた。

妻にとって意味のわからない電話に「大事な電話」はない ―― そう決めているからだ。

 

スマホを受け取ると、若い男の、妙に明るく優しい声が耳に飛び込んできた。

その一声で、私はもう「やっぱりな」と察した。

 

「何でしょうか?」と尋ねると、相手は淀みなく名乗った。

 

「私、お宅様でお使いになっている光通信回線の改善提案をお伝えしている『光センター』の○○と申します。」

 

その瞬間、胸の奥から怒りが込み上げた。

よくもまあ、こんな電話を平然とかけて来られるものだ。

 

「ふざけるな。そんな話に騙されないぞ。」

 

そう一喝して、私は通話を切った。


妻は若いころから「人を疑う」ということを知らない。

よく言えば無垢、悪く言えば無防備。 その性格が、今の時代には危うく映る場面が少なくない。

 

以前も、似たようなことがあった

 

自室で仕事をしていると、妻が息せき切ってやってきて「ちょっと表に来て」と言う。

何か耳よりの特ダネでも掴んだ記者のような顔つきだった。

 

家から数十メートル離れたところに若い男が二人。

建築現場の作業員のような恰好で、こちらの屋根をしきりに見上げている。

 

「近くの建築現場で作業をしている者ですが、帰りがけに職業柄ふとお宅の屋根を見たら、頂上のあたりがめくれているのに気がつきまして。このまま放置するとまずことになるので、奥様にお伝えしました」

 

一人が差し出した名刺には、建物の建築・修理を扱う会社の名前が印刷されていた。

 

「めくれているというのは、どのあたりですか?」

 

そう尋ねると、男は自信ありげに言った。

 

「ここからはちょっと影になっていて見にくいんです」

 

見にくいのになぜ「ふと見つけた」のか。

その矛盾に、私はすでに半分以上答えを得ていた。

 

「そうですか。では、ドローン持っていますから、飛ばして近くから良く見てみます」

そう告げた途端、彼らの顔からすっと血の気が引いた。

私の手にある名刺を、取り返したそうに一瞥すると、そそくさとその場を離れていった。


数か月前にも、妻が玄関先から私を呼んだ。

 

出てみると、若い男が一人、電柱と家の電線を見比べながら、いかにも「安心してください」という顔つきで言う。

 

「この辺りで通信回線の変更がありまして……」

 

その柔らかい口調を聞いた最初の二秒で怪しみ、五秒でうんざりした。 私は短く「帰ってくれ」とだけ告げて、ドアを閉めた。


こうした出来事が、ここ数年で何度も重なった。

そして昨日の「光センター」事件で、私はついに「これは重症だ」と悟ったのである。

 

私は目の前のパソコンを開き、メールソフトを立ち上げた。

妻には眼鏡をかけさせ、私の横に座らせて、画面をしっかり見るように言った。

受信トレイには、朝のうちに八十件ほどのメールが積み上がっていた。 そのうち、まともなものは三件だけだ。 残りは、どれも似たような“悪意の手紙”である。

 

発信者の名前は、意味のない文字のつぎはぎ。 日本語のはずなのに、どこか壊れたような題名。 同じ会社名を名乗りながら、送信元は毎回違う。 それでも中身は判で押したように同じ画面で、「ここをクリック」と誘ってくる。

 

取引した覚えもない会社が、突然「あなたの○○が無効です」と脅してくる。  アマゾンやメルカリを名乗るものは、妙に切迫した口調で「十時間以内に修正を」と迫ってくる。

 

妻は画面を見つめながら、ひとつひとつ頷いていた。 その横顔を見ていると、私は思わずため息が出た。 「世の中には、まともな情報の方が少ないんだよ」 そう言うしかなかった。


それでもなお、妻は根本的には変わらないだろう。

遥か昔の時代に置き忘れてきたような人間が、今も私の隣でそのまま息づいている。

 

それは、ある意味ではとても美しく、誇らしいことだ。

しかし、古希を過ぎた今もなお、疑うことを知らない心のままでいることには、一抹の不安もある。

 

こんな人間がいる一方で、世には、悪意を糧に暮らしている人間も五万といる。

その現実を知っているからこそ、私は妻の無垢さを、時に危うく、時に眩しく感じる。

 

ひとつだけ、はっきりしていることがある。

 

私が今も妻と平穏に暮らしていられるのは、まさにその「人を信じて疑わない性格」のおかげだということだ。

もし彼女が、私と同じように人を疑い、身構える性格だったら ――

 

「とっくにあなたには三行半を突きつけてるわよ」

 

と、妻自身が笑いながら言った。

 

その言葉を聞いたとき、私は内心で苦笑した。 確かにその通りだと思った。

そんなことを今「笑いながら」話せることこそが、彼女が持っている稀有な性格なのだと思った。

人を疑わない彼女に、最後まで付き合ってもらっているのは、どうやらこの私の方らしい。

 

彼女の無垢さは、たしかにこの時代には「罪」にもなりうる。

しかし同時に、それは、疑い深くなった私の心を、ぎりぎりのところで人間らしく保ってくれている「功」でもある。

 

悪意の多い時代に、疑うことを覚えきれないまま生きている人間と、

疑うことを覚えすぎてしまった人間とが、同じ屋根の下で暮らしている。

 

どちらが欠けても、たぶんこの家はうまく回らなかった。

夫婦のあいだの不均衡には、かくれた均衡を生み出す力がある。

そう思えるだけで、悪意の多い時代も少しだけ生きやすくなる。

 

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