なぜ、私は残すのか ―― 過ぎし日の絶叫から

目覚めてスイッチを入れたラジオから、懐かしい歌が聴こえてきた。

河島英五が1985年にカバーしてヒットした『野風増』だった。

ちょうど私がスペイン留学を終えて帰国したころで、私がラテン社会の解放感に染まり切っていた私は、仕事が終わると夜の街に繰り出すようになっていた。

それより十年ほど前、新入社員のころから、私はカラオケの世界の「けん引役」と言われるほど熱中していたので、この『野風増』もすぐにレパートリーに入った。

 

「おまえが二十歳になったら酒場でふたりで飲みたいものだ」で始まり、「いいか、男は大きな夢を持て」で終わるその歌に、まだ三、四歳だった我が息子の姿を重さね、声を振り絞って歌ったものだ。

 

そのカラオケも、あまりに熱唱し過ぎて、四十代で「カラオケ・ポリープ」の手術を受けた。その後はさすがに思うように声が出なくなり、二十年近く前からマイクを握ることはなくなった。

単に声の出し過ぎだけではない。右手にマイク、左手にタバコを持ち、吸っては絶叫、絶叫しては吸う。そんなことを続けていれば、喉が壊れるのは時間の問題だった。

 

不幸中の幸いと言ったらよいのか、あの日々が夢でなかったことを今に伝える記録を、私は残していた。

 

自分の歌を録音し、音楽CDにまとめていたのだ。

『岡 浩一郎カラオケ・ベスト』と名付けた音楽CDである。自分の歌を録音し、十数曲ずつ収めたCDをNo.1からNo.3まで三枚作っていた。合計で三十七曲である。

 

さらに、外国の歌を原語で歌ったものとして、韓国語版(十曲)、タガログ語(五曲)も作った。

全部合わせるとCD五枚に五十二曲が収録されていることになる。

 

何がそんなに私を衝き動かしていたのか。趣味とは言え、普通ではない熱の入れようだったと思う。

その五十二曲の代償が、枯れ気味の喉という「第二変声期」を迎えてしまったことだ。


私はカラオケに限らず、何でも記録に残し、整理するのが好きだ。今こうして書いているエッセイも、これまでの人生を振り返り、心の整理をしながら、その足跡を残そうとしているのではないかと思う。

 

私は、趣味の世界で情熱を燃やして生きてきたので、さまざまな足跡を残してきた。そして、それを博物館のように展示する場所も、長い年月をかけて改良を重ねながら創り上げてきた。『MAFNET』というホームページ(Website)である。

 

 

その原点となるものを作り始めたのが、1982年だから、改築・増築を四十五年近く繰り返してきたことになる。

家と同じで、最初から新しい設計で骨組みから作り直したわけではない「つぎはぎ」の老朽建築で、今では古さを感じさせる使いにくさもある。しかし、そこには私の長い歴史が刻まれている。

もちろんカラオケのページもあり、CDに収録した五十二曲を聴くことができる。

 

久しぶりに自分の歌を聴くと、あの頃の景色が次々に走馬灯のようによみがえってくる。あまりにも多くの懐かしい記憶が溢れ出し、その重さに胸が締め付けられるようになる。

そして最後には、こんな声が出して歌っていた自分が本当にいたのだと、驚きさえ覚えてしまう。


こうして過去の自分と再び出会えるのも、あのとき記録を残しておいたからなのだろう。

それでも私は今なお、なぜ、何のために足跡を残そうとしているのか、よく分からない。

せいぜい私を見送った妻が感傷に浸りながら覗いてくれるか、子どもたちが何かの折に思い出して覗くことがあればいい方だろう。

 

 

最近歳をとって世を去ることを身近に感じるようになったから始めたわけでもない。若いころから私は、まるでそれが自分に課せられた作業であるかのように、記録を残すことに向き合いひたすら続けてきた。

 

私はただ無駄なことをしているのだろうか。

 

 

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