人生を生きてきたらこそ抱くようになった、来世の夢がある。
私は三十年ほど前から、「来世ではジャンボ機の国際線パイロットになる」と決めて生きてきた。
しかし最近は、それを上回る夢が芽生え、私の心を揺さぶるようになった。
私が夢の中に描くようになった自分の姿は、「研究者」である。
研究対象そのものにはこだわらない。私が惹かれるのは、現代の人々がまだ知り得ていない未知の世界の探求する営みである。
それは、歴史の中に埋もれた謎でもよい、人類がいまだ足を踏み入れたことのない自然科学の領域でもよい。
この人生で自分が夢中になって取り組んできたものは、いくつもの趣味の世界にあった。その多くに共通していたのは、興味を持った対象の「神髄」とも呼ぶべきものを追及しようとする姿勢だった。
もちろん、私は趣味に費やした時間を後悔しているわけではない。ただ、その情熱を未知の世界の探求へ向けていたなら、どのような人生になっていただろうと思うことがある。
振り返れば、私はずっと「道」の中に夢を追いかけてきた人間だった。
新しい視点を持つことや、新しい技術を投入することで、今まで不可能だった写真を撮りたい。
新しい周波数帯で遠くまで電波を飛ばしたい。
無線の世界に今まで存在したことのない情報交換ネットワークを構築したい。
アメリカで普及しているキャンピングカーを、日本でも自分が手作りして実現させたい。
そうした思いに突き動かされ、そのたびに先人たちが築いてきた道をさらに登り詰めてきた。
だが今になって、不思議と心が惹かれるのは「道」ではなく「未知」である。
誰も答えを知らない問いに向き合い、うまくいく保証もないまま一生をかけて探求する。その営みの眩しさを、歳を重ねるほど強く感じるようになった。
今になって振り返ると、研究者という生き方も私の性分には案外向いていたのではないかと思う。
そこで何か大きな成果を成し遂げるかどうかは別として、中途半端では投げ出さず、昼夜を問わず地道に集中し続ける性格は、人と向き合うことを中心とする営業職のサラリーマンよりも肌に合っていたように思えるのだ。
テレビのドキュメンタリー番組で、誰も答えを知らない問いを追い続けた末に、大きな発見へたどり着いた研究者の人生を知ることがある。
私はそういう研究者を心から尊敬するし、うらやましくも思う。
それこそ、派手な名声とは無縁であったとしても、決して消えることのない足跡を人類の歴史に残した人たちである。
私が夢中になってきた趣味の世界にも奥深さはあったと思う。しかしそれは、未知を切り開く旅ではなく、既に存在する道を深く辿る歩みだった。
「ジャンボ機の国際線パイロットになる」夢は、私個人の夢だ。
しかし、「ある分野の研究者として生きる」という夢には、自分一人の満足を超え、世の中へ何らかのかたちで貢献できる可能性がある。
私に再び来世という新たな人生が与えられるのであれば、私はもう少し飛躍してみたい。
私は人生自分自身の夢を追い続けてきた。それは一人の人間として、達成感と満足感に満ちた時間だった。
だからこそ来世では、その延長線上でもう一歩先へ進んでみたい。
道を極める人生ではなく、未知を探求する人生を。
そんな人生にも、一度くらい挑んでみたいと思う。