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             外国語ing My Way
        情報マガジン NO.000012  2004.8.30配信
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連載記事:「外国語ing My Way」バイブル・シリーズ(12)
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2.言葉が描く世界地図

英語の世界をちょっと覗いただけでも、言語の構造とその言語で生活する人々
の思考・行動様式に密接な関係がある事がわかりましたが、その他の言語には
どの様な関係を見る事ができるでしょうか。 私が覗いて来たわずかな世界の
中でも、それぞれの言語が際立った特徴を見せています。 英語以外の世界で
の、言語の構造と思考・行動様式の密接な関係と言う観点で、私自身が深い感
銘を受けたスペイン語とタガログ語、それに私達の生活と切っても切れない縁
のある同じ漢字文化圏にある中国語と韓国語の例をご紹介しましょう。 個別
の語学の文法構造に少し踏み入る形になりますが、ちょっと我慢して読み取っ
て下さい。

(1)スペイン語

A.ラテン語系であるスペイン語は、英語と比較すると動詞の活用が極めて多
  様で煩雑です。 中でも「接続法」と呼ばれる「スペイン語を学ぶ初心者
  泣かせ」の難解な活用は英語には見られないもので、不確かなものとか願
  望・欲求がからんだ時などにこの活用をします。 この限られた状況に対
  し特別の活用を与えると言う事は、その事態に重きを置いているからで、
  人間が持つ本源的な感情を大切にするラテンの文化の源泉がここに現れて
  いると感じます。

B.動詞が取る「〜に」と言う目的格の表現も英語には無い物です。「私に」
  は英語なら「to me」ですが、これに対応するスペイン語は「a m
  i」です。 「a」は「to」と同じで「mi」は「me」と同じです。
  ところが、普通の会話で普通の表現をしている時には、この表現は省略さ
  れる事が多いのです。 基本的には動詞の前に「me」(英語のミーとた
  またま同じ綴り方と同じ様な意味を持っていますが、メと発音します)と
  言う目的語を一語入れて済ませています。 この「me」と言う単語は、
  それだけで「私に」と言う目的格の人称ですが、それをまず動詞より先に
  示すのです。 サラッと、「私に」と表現する時はこの簡単な一語で済ま
  せ、特に「私に」を強調したい場合にだけ、動詞の後に「a mi」と付
  け足します。 「meとは、紛れも無くmi(私)だよ」と念を押すイメ
  ージです。 

  また、「再帰動詞」と言う、これも英語にない特殊な動詞があります。 
  これは、動作の結果が自分に帰って来る動詞で、例えば「起きる」と言う
  単語があります。 「自分自身の動作」=「自分に帰って来る」ので、こ
  の動詞は常に動詞の前に「〜に」の意味を持つ単語を伴って使われます。
  自分が起きるなら、上の例で出た「me」を動詞の前に伴い、常に動詞と
  セットで初めて一人前の動詞として扱われます。 

  もう一つ興味深い動詞の使い方がされています。 例えば「私は、花が好
  きだ」と言う様な表現の場合です。 スペイン語では、「花が私を好きだ
  (魅了する)」と文法的には記述します。 やはり「私」が主語の場合は
  動詞の前に「me」(上2つの例と同じ単語です)が出て来るのです。 
  この場合も最後に「a mi」を付け足す事によって、「私は」を強調す
  る事ができます。 これは、ある物が影響を「誰に」与えるかと言う事を
  重要視した結果ではないかと思います。

  更にもうひとつ、これはスペイン語動詞の基本的な部分なのですが、全て
  の動詞は主語の人称によって活用します。 ひとつの人称の為に、わざわ
  ざ個別の活用形を持っているのです。 英語では全く変わりませんね。
  (三人称単数でsが付く位です) 動詞の活用で主語の人称が特定できる
  ので、主語を省いても意味が通じる場合は、会話では主語を省く事がたく
  さんあります。 そして主語を強調する時、明確に特定する時に、文中に
  主語を入れます。

  この4つの特徴的な構造に示される様に、スペイン語では人称を大切・明
  確に扱っています。 やはり「人間」をとても大切なテーマとして扱って
  いるからではないかと感じます。


(2)タガログ語

スペイン語を学んだ時にその動詞の多様な活用には怒りすら覚えました(笑)
が、タガログ語が実はスペイン語とは比較にならない程複雑で多様な動詞と活
用を持っている事を知った時には、本当に愕然としてしまいました。 よもや
これほど表現力が豊かな言葉があるとは思ってもいなかったし、ましてや南方
ののんびりとした世界は万事大雑把なのでは、との先入観も多少あったからで
す。 ここでは特に採り上げませんが、同じ東南アジアの言語であるタイ語や
マレー語、インドネシア語では、多かれ少なかれその「大雑把な」傾向を見る
事ができます。

A.タガログ語の動詞は、もちろん英語やスペイン語と同じ様に、時制(過去
  ・現在・未来など)によって活用変化をします。 スペイン語はそれに加
  えて「人称による活用変化」と「接続法の活用変化」がありますが、どち
  らも基本的には規則変化ですので、慣れれば学ぶのにそれ程苦労はありま
  せん。 ところがタガログ語は、スペイン語とは全然異なる「異次元」で
  すざましい変化をします。 まずひとつの動詞(例えば「書く」とか)が
  あるとすると、それから派生した動詞その物が10数個も存在しているの
  です。 もちろん、それらが別々の規則で時制(過去・現在・未来など)
  の活用変化をしてくれるのです。 その実態を知るや、ただ唖然とするば
  かりです。 誰しもが、自分がこの言語をマスターするのは絶対に不可能
  ではないだろうかと立ち尽くす瞬間です。

  タガログ語の世界では、ある表現したい文意がある時に、その文章中に登
  場する各単語の中の、どの単語に焦点(自分が一番強調したい点)が置か
  れているかを最重要視します。 そしてその単語が、何であれ(行為をし
  た人、行為をされた対象、行為が行われた場所、行為が行われた理由、行
  為の手段等々)なんと文法上の構造的にはそれらを主語にしてしまうので
  す。 その為に、置かれる焦点別に、動詞の基本形が1〜5文字で作られ
  る接頭辞や接尾辞を前後に付け足して、別々の動詞の基本形を作ってしま
  うのです。 たったひとつの「書く」と言う動詞を覚える為に、大学ノー
  ト一頁を埋め尽くす活用変化を暗記しなければいけないのです。

  ですから、タガログ語の表現力には素晴らしいものがあります。 「私は
  レストランでフォークでバナナを食べる」と言う文章ひとつでも、「私」
  (行為者)が焦点の場合と、「バナナ」(行為の対象)が焦点の場合と、
  「レストラン」(行為の行われた場所)が焦点の場合と、「フォーク」(
  行為の手段)が焦点の場合では、「食べる」と言う動詞の基本形が異なる
  のです。 異なると言う事は、構造的には主語が異なる事を意味していま
  す。 すなわち「バナナ」が焦点なら「バナナはレストランでフォークで
  私に食べられる」となるし、「レストラン」が焦点なら「レストランは(
  その場所で)私にバナナをフォークで食べられる」となるし、「フォーク
  」が焦点なら「フォークはレストランでバナナを私に食べさせる」となる
  訳です。 日本語で無理に書くとなんとも不自然な文章になってしまいま
  すが、あくまでもこれは構造上の訳です。 いずれの場合も訳は「私はレ
  ストランでフォークでバナナを食べる」で構わないのですが、これらにす
  べて別の「食べる」と言う動詞が割り当てられていると考えて下さい。 
  日本語でも英語でも、せいぜい話し言葉で焦点の置かれた単語(自分が一
  番強調したい単語)を強く発音する事によってしか表現できないのに対し
  タガログ語で書かれた文章ならば、何に重きが置かれているか一目瞭然な
  のです。 素晴らしい表現力だとは思いませんか?

  タガログ語を少し話せるようになってフィリピン人に話しをすると、必ず
  と言って良い程笑われます。 そして直されます。 置くべき焦点に合っ
  ている使われるべき動詞が使われていないからです。 逆に言うと、使わ
  れるべき動詞が使われていないので、おかしな所に話の焦点が行ってしま
  っているからです。 悲しくなって自信を喪失する程直されます。(笑)
  日本語で考えていては、絶対にタガログ語の表現はできないんです。

B.もうひとつ、タガログ語の特徴をご紹介して置きましょう。 時制です。
  タガログ語の動詞も英語やスペイン語と同じように過去形、現在形、未来
  形があります。 しかし厳密には使われ方は少し異なっています。 タガ
  ログ語の世界では時間その物の取扱方がちょっと異なっているからです。
  英語やスペイン語で言う「過去形−現在形−未来形」と言うよりか、「完
  了形−未完了形−未来形」と言う区分の方が正しいのです。 過去/現在
  と言う厳密な時間の違いの区分ではなく、ある動作について、「完了した
  かまだ完了に至ってないか、そもそもまだ手を付けていないか」と言う区
  分をしているのであって、時間その物を漠然とした相として捉えているの
  です。 これは大変興味深い事実で、南海の諸島での実におおらかとした
  生き方がそのまま反映されていると言えます。この様な時間の捉え方をし
  たとしたら、それだけで世の中が全く違って見えて来ると思いませんか?

私は、タガログ語を学び始めてから、フィリッピン人に対する印象が大きく変
わりました。 それまではただ単純に彼らの「底抜けの明るさと素朴なおおら
かさ」に惹かれていたのですが、タガログ語を知る事によって、彼らは単に素
朴でおおらかなだけでなく、実に多彩な視点を持った情感に溢れる人々である
事に気付いたのです。 彼らの底抜けの明るさのは、目に見えない豊かな情感
に支えられている事に気が付いたのです。


(3)漢字語圏を形成する中国語、韓国語、日本語

中国語、韓国語、日本語のつながりを考えた時に、共通している漢字語の存在
とその使われ方の違いを見れば、中国語から韓国語が、韓国語から日本語が派
生して生まれて来た、あるいは影響を受けて変遷して来た事に異論を挟む余地
はないでしょう。(ハングル文字で書かれている韓国語も、実はもともとは漢
字語である事、そして如何に韓国語が日本語と酷似しているかは既に本書でお
話しました) 

世界の中で、この漢字語と言うものは極めてユニークな存在です。 なにしろ
数千個に及ぶ複雑な「表意文字」を持っている文化は世界中で他に例がありま
せん。 なかでも中国語の特徴的な点は、「まず漢字表記の文章がありき」と
言う事ではないでしょうか。 書かれた文章(もちろん漢字だけです)は全く
同じなのに、その漢字が広い中国大陸の地方毎に異なった発音をされ、広東語
だの上海語だの、ほぼ省ごとに異なる言語(会話は相互に全く通じないと言う
点では他言語の様です)になっているのです。 まさに「表意文字」であるか
らこそ成し得た技と言う訳です。 表音文字であったなら、言葉が異なれば文
章は変わってしまいますし、ひとつの文章からはひとつの言語しか生まれない
からです。

この様な表意文字で普遍的に表す事のできる漢字だけの世界であった事は、中
国数千年の歴史の中での人々の思想や思考過程が、極めて整然と普遍的に蓄積
されて行く事を可能にし、それが彼らの独特の特性を育てて行ったのではない
かと私は考えています。

中国語が朝鮮半島に伝わった後、独特の組み合わせ方、接続のされ方、構成の
され方をし、漢字自体の発音も独特に変化して今の朝鮮語(韓国語)に変遷し
て行ったと見るとすると、他の中国大陸内での地域毎の言語への変遷と比べて
ユニークな点は、漢字単語を残しながらも、その発音だけでなく、語順を始め
として文法的にも助詞などの新たな構成要素を加えつつ、全く新しい言語とし
て発展している点にあると言えます。 

何千年にも及ぶ中国の歴史の中で、数知れぬ戦いと文化統合を繰り返して来た
現在の中国の大陸地域に比べ、地理的にも辺境の地であった朝鮮半島は、それ
らの争いにあまり巻き込まれる事なく、独自の変遷を続ける事ができた為であ
ったのかもしれません。 表意文字である漢字だけで埋め尽くされた文章の世
界から解放され、「話し言葉」として変遷を遂げたのが朝鮮語(韓国語)であ
ると見る事もできます。 一説によると、朝鮮半島は僻地であり、生活も貧し
い人々が多く、また継続的な中国語圏との交流も限られていた事から、結果的
に漢字だけで埋め尽くされた文章の世界を文化として維持する事が「能力的に
」出来なかったと言われています。 結果的に話し言葉として存続せざるを得
ない環境の中で、会話の中での感情が言葉に変化を与えて行き、語順が入れ替
わると共に漢字から離れた助詞的な語句などが生まれ、最終的に朝鮮語(韓国
語)が形成されて行ったのかもしれません。 漢字から解放される中で、感情
表現重視の言語と、「鶏と卵反応」で独特の朝鮮(韓国)人の特性や文化が育
って行ったのかもしれません。

興味深いのは、中国語の語順は英語の語順に比較的近く、「結論」が文の最初
に表現される事が多いのに対し、朝鮮語(韓国語)では語順が逆転している事
です。 最後まで聞かないと結論がわからない日本語の語順の源泉は、朝鮮語
(韓国語)にある点です。 この根本的な言語構造の違いに着目すると、朝鮮
語(韓国語)のルーツを中国語とするのはかなり無理があるとも言えます。 
もともと朝鮮半島で話されていた中国語とは逆の語順を持った辺境の話し言葉
があって、それに中国からの高度な漢字文明が流入し、それを取り込み、変遷
する形で朝鮮語(韓国語)が形成されて行ったのかもしれません。 むしろそ
う考えた方が自然なのかもしれません。 

いずれにしても中国と韓国(朝鮮)は、同じ漢字文化圏で有りながら言語的に
も文化特性的にもその特徴にはかなりの差異が存在する結果になっています。
そして、朝鮮語(韓国語)は話し言葉が主導したか、或いは話し言葉が核とな
って変遷を遂げて来たと見るのが自然であるとすれば、その辺りに、彼らが持
っている「欲望に対する強い希求心」等に代表される独自性の源泉があるので
はないかと私は考えています。

朝鮮語(韓国語)が日本に伝わって日本語に変遷して行ったとして、二つの言
語が酷似する中、特徴的な差異は、漢字の読みが多岐に分化した事ではないか
と思います。 朝鮮語(韓国語)では、一つの漢字に対する読み(発音)は、
たったひとつしか存在しません。 その意味では他の中国大陸における各地方
の中国語(上海語とか広東語とか)と同じです。 ところが、日本語ではご存
知の通り、音読み・訓読みなど、ひとつの漢字が何通りもの発音を持っていま
す。 発音が漢字に支配されるのではなく、発音が表わしたい意味を持つ漢字
に割り当てられたとも言えます。 中国語が日本に来て、初めて漢字言語の発
想の呪縛から逃れた様な感すらあります。 この辺に、日本文化の独自性が現
れていると言えないでしょうか。 

すなわち、地理的にユーラシア大陸の東端から突き出た朝鮮半島(韓半島)か
ら更に海を隔てた辺境のまた飛び地とも言うべき日本列島は、歴史的に文化の
発信点とは成り得ず、常に文化の終着駅であり、到来した文化はそこで何者に
も邪魔される事なく極めてユニークな変遷を遂げて来たと考えられる訳です。
日本人の神経・感覚の細やかさ、静寂の中に調和と動きを感じ取る鋭敏な感覚
は、恵まれた自然と、美しい四季の移り変わりと言った地理的自然が持つ多彩
な描写・演出力の下で育まれ、それに呼応するかの様に、日本語の表現方法も
漢字の読みの自由な多岐化への道を歩んだのではないかと考えています。 も
ちろん、「鶏と卵」です。 相互に作用しあって日本語も日本独自の文化も形
成されて行ったに違いありません。

私が覗いてきたわずかな世界を見ただけでも、これだけそれぞれの言語がその
国に暮らす人達の思考・行動様式に深く関わっている様を見る事ができます。
これらの事からも、地球の上には言語の数に匹敵する数の思考・行動様式が存
在する事が容易に想像できます。 

外国語を学んで行くにつれ、新しい世界地図が目の前に広がって行きます。そ
れは政治や地理上の地図ではありません。 地球と言う惑星の上に展開された
人類が築き上げて来た文化の地図です。 そしてこの文化の地図こそが、今を
生きる私達ひとりひとりの置かれた客観的環境を示してくれているのです。

(次号へつづく)


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随時掲載記事コーナー
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■■ 掲示板から

初心者掲示板では、韓国語や英語を頑張ってみようと若い主婦の方お二人が登
場して下さって、少しずつ賑わって来ました。 どの言語に限る事なく、お互
いに楽しく勉強できる場としてたくさんの方が利用して下さる事を願っていま
す。

皆様から頂戴しているメールやアンケートのメッセージを拝見していると、同
じ様な動機をお持ちになっていたり、同じ様な物を求めてらっしゃる方がたく
さんいらっしゃる様に感じます。 どなたかが最初に声を出さないと、なんと
なく遠慮してそのままになってしまい、せっかくの出会いや有難い機会を逃し
てしまっている様な気もします。 

更新がコンスタントに続いているイタリア語ページのmiyaさんのベネチア
・レポートではmiyaさんの現地にすっかり溶け込んだ様子が手に取るよう
に伺えて楽しく拝見しています。

こちらもどんどん書き進められているスワヒリ語ページのYukiさんの「タ
ンザニア回想録」では、本当に興味深い別世界の様子がありありと描かれてい
て、世界の懐の深さを感じてしまいます。


■■ 「バイブル・シリーズ」

本メルマガの第一弾として配信を続けて来た「バイブル・シリーズ」も終わり
が近づいて来ました。 この間、読者の皆様方からは様々な励ましのメールを
頂戴しており、いたく感謝しております。

多くの皆様が、外国語の学習法の参考になるお話を望んでおられ、また多くの
初心の方々が楽しく外国語が勉強できるようなお話しを望んでおられます。 
また、自分自身が刺激され奮起できるようになったと喜びのメッセージを寄せ
られた方もたくさんいらっしゃいます。

皆様からのご感想をお伺いする度に、こんな私でも少しは人の為になっている
んだと言う有難い気持ちと、その責任の重さを感じております。

いつも執筆しながら、こんな事書いたら「こいつバカか!」と呆れられてしま
うのではないかとか、「こんな中身の無いメルマガは購読中止だ!」と相手に
されなくなてしまうのではないかとか、不安な気持ちと戦っています。 そも
そも私ごときが、偉そうに人に向かって能書きを垂れる資格なんかないんじゃ
ないかと思う時もあります。

しかし、ここまで来たら今更後には引けないし、開き直るしかないのかもしれ
ません。(笑)

私がいつも一番思い悩んでいる事は、具体的にどんなお話を皆様が一番歓迎し
てくれるだろうかと言う事です。 この「バイブル・シリーズ」は、言わば「
外国語ing My Way」の出発点に過ぎません。 一人でも多くの皆様が、外国語
習得の持つ素晴らしい意義を理解され、その方向へ進む為の動機付けを促す事
を狙ったものです。(だからこそ、「バイブル」と言う名を付けました)

今後とも読者の皆様からの忌憚ないご意見とご感想を、何よりも楽しみにお待
ちしております。

それでは皆さんまた来週、お元気で!


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