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             外国語ing My Way
        情報マガジン NO.000006  2004.7.19配信
 サポート・ホームページ:http://www.ki.rim.or.jp/~jr1maf2/gmyway/
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連載記事:「外国語ing My Way」バイブル・シリーズ(6)
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4.自らのルーツを求め夢中で辿った韓国語への道

(1)不意をつかれた第一印象

アジア各国への出張が続く中、タイへの出張が一番の楽しみとなったのは言う
までもありません。マレーシアやシンガポールに出張する時ですら、タイ語の
参考書とノートを携えることは忘れず、タイ人のやっている店はないかとか、
タイ人はどこかにいないかとか、飢えた魚のようにタイとタイ語に触れ合う機
会を求めていました。 

当然航空機は、フライトがあればタイ航空を利用しました。 搭乗前の搭乗口
にたむろしているタイ人のフライト・アテンダント(スチュワーデス)や操縦
士、副操縦士、機関士らとタイ語で話す機会があるからです。 機内にはタイ
の香が満ち、心を撫でられるような美しい発音のタイ語のアナウンスを聞ける
し、もちろんフライト・アテンダント達とお話できる機会も少なからずありま
す。 フライト・アテンダント達(男性も)のゆったりとした清楚なもてなし
に、タイの心が伝わって来るのです。

実は職場の同僚に、英語がまったく駄目な者がいて、アジアの中で中国と韓国
だけは彼の担当となっていました。中国と韓国だけはビジネス上でも英語は通
じにくく、現地留学経験を経た現地の拠点に勤務している日本人社員を同伴し
中国語・韓国語に通訳してもらいながら面談をする事が多かったからです。

ある時、彼は他の業務にシフトすることになり、その中国と韓国も私の担当と
なり、私は文字通りアジアのすべての国を担当する事になりました。 正直言
って、それほど嬉しくは思いませんでした。 タイに没頭していた事が大きな
理由ではありましたが、南方の「アジアのラテン国家」から遠く北に離れたそ
れらの地域は、それまでの人生で得ていた見識では、東南アジアとはまったく
異なる世界であると思っていたからでした。 また、両国とも日本との間には
暗い歴史があり、中でも中国は独特な政治体制下にある訳で、それが更に私を
近寄り難くさせていました。

担当国が増えたところで、初めて中国と韓国に出張する事になりました。 初
めての中国では仕事で結構エネルギーを使い果たし、帰りがけに韓国に寄らな
ければならない事が本当に億劫でした。 ソウルの金浦(キンポ)空港につい
たのは日没後の暗闇の中でした。 中国の空港と同じように、漢字で書いた空
港名が空港ビルディングの屋上にネオンサインのように掲げてあって、ああ、
ここも漢字も一部使っている国だったけなぁとぼんやり考えていました。

旅の本によると、韓国ではとにかく一般のタクシーは禁物で、「模範」と書いて
あるタクシーに乗れとあります。 サイズの大きな高級車を使った黒塗りのタ
クシーで、料金も一般タクシーより高いのですが、運転手は選ばれたベテラン
優良運転手ばかりで年配の人が多く、日本語も通じる事が多いと書いてありま
す。

英語は日本より通じない国ですので(後でわかった事ですが、英語が通じない
中国よりもっと悪く、大企業の国際部の役付者でもほとんど話せない事があり
ます)かなり覚悟をして臨んだのですが、乗った模範タクシーの運転手はご多
聞に漏れず60歳位の年配者で日本語を立派に話せる人でした。 ラッキーで
した。 私は、韓国人は皆、日本の植民地統治の事で今でも日本人をうらんで
いると思っていたので、恐々と話しかけたのですが、その運転手は意外にも笑
顔で上機嫌です。 まるで日本人に会えてそうして日本語を話せる事をとても
楽しみにしていたかの様です。 私は大いに緊張が解け、まずは幸先の良いス
タートに安堵の息をつきました。

ホテルまでの道中、窓から眺めるソウルの街並みは、予想もしなかった程斬新
で新鮮でした。 看板のハングル文字がとてもいいデザインに見えます。 色
も日本では絶対に使わない明るい色(例えば明るい黄緑とか黄色とか紫とか)
がとてもカラフルで、視覚的に目に焼きつくのです。 その派手は色彩に、単
純な幾何学模様的なハングル文字がとてもうまくマッチしていて、見ているだ
けで何故か楽しくて胸が小躍りする感じです。 街を歩いている人々、飲食店
や小売店の様子はとても庶民的なのですが、今まで散々見てきたアジアの国々
特に南方のインドシナのどろどろとした中の活気溢れる雰囲気とは全く違いま
す。 スペインを始めとするヨーロッパの国々とも、アメリカとも違います。
もちろん直前に渡航した中国とも全然違います。 

しかも不思議な事に何故か全く違和感を感じないのです。 今まで世界中の何
処の国でも見たことのないような独特の色彩と雰囲気、もちろん日本とも全然
違うのに、何故か初めての感じがしないのです。 不意を打たれた第一印象か
ら私と韓国との関わりが始まったのです。


(2)暖かい韓国人の懐に解かれた緊張

さて、ホテルに落ち着いてからとりあえず食事に行かなければなりません。 
あらかじめ会社のソウル支店の後輩に夜の繁華街はどの辺りがおもしろいか情
報は貰っていましたが、結構いい時間だったので、とにかくホテルから出て「
模範タクシー」に乗り込み、適当に10分くらい走ったところで下りました。
(ホテルはビジネス街のど真ん中でちょっと見回したところ適当なところが見
当たらなかったので)

あてもなくぶらぶら歩いて行く内に一軒の焼肉屋の前に来ました。 入り口は
ひなびた居酒屋風で、なんとも日本的な感じです。 中をと覗くと、これも居
酒屋よろしく男性諸君がわいわい楽しそうに飲んでいます。 しかし、どう見
てもそこは観光客の来る様なところではありません。 全くの韓国ドメスティ
ックの世界です。 まず言葉は全く通じそうにありません。 あまけに小さな
店ですからサンプルも写真も貼りだされていません。 一度はためらいました
が、ここは度胸とばかり足を踏み入れました。

天井から大きな排煙管がらっぱのように下に向かって口を大きく開いた下に、
鉄板の付いた小さなアルミ製の丸いテーブルがあって、周りを背もたれもない
小さな丸椅子が3〜4個とり囲んでいます。 そんな席が店内に7〜8席あっ
たでしょうか。 訳もわからず開いた席に座ると、生きのいい若い男性店員が
「オソオプシオ!」(と、言ったはずでが、その時はなんて言ったかわかりま
せん)と近寄って来ます。 不思議です。 その人の装いも日本のハッピ姿に
似ていて、言葉の語感も「へい、らっしゃ〜い!」と言われたかのように響く
のです。

さて、困りました。 英語と日本語で話してみますがまったく通じません。 
予想はしていた事ですがこれでは全く注文すらできません。 仕方なく隣のテ
ーブルをチョンチョンと指差し、物欲しそうな顔をしたら通じました。(笑)
にっこり笑って同じものを持って来てくれたのです。 

金浦空港からの模範タクシーの運転手の親しみを込めた応対には意表をつかれ
ましたが、模範タクシーの運転手は植民地時代に日本語教育を受けた人だから
まだ日本には理解する気持ちがあったかもしれないし、いつも日本人観光客を
空港から乗せていて抵抗感が薄らいでいただけかもしれません。 しかしこの
店はお客も店員もバリバリの地元の若者達だけです。 同じようには行きそう
には見えません。 実際、会社のソウル支店の後輩からつい最近まで日本人が
電車の中で袋叩きにあったとか、交通事故でも起こそうものならえらい目に遭
うとか聞かされていましたので、やはりかなり緊張していました。

しかし、その彼は、言葉の話せない日本人の私に実に明るく親切に接してくれ
ました。 ビールもお代わりも、いつも私に目配りしてくれて、初めて行った
韓国での初めての食事を何一つ困らない物にしてくれたのです。 またしても
私は意表をつかれる事になったのです。

それにしても不思議な体験です。 外国にいる感じがしないのです。 まるで
日本の地方都市に旅にでも来た感じです。 でも良く良く見れば目に見えるも
のはあきらかに日本とは違うし、とても新鮮です。 だけど違和感がまるでな
いのです。


(3)日本人のルーツへの遭遇と新たな決意

翌日は朝から仕事です。 ソウル支店の後輩と連れ立って韓国の金融機関を訪
問する事になりました。 その後輩はその前の年に1年間韓国で語学留学を経
ており、留学の終了と共にソウル支店に配属になっていました。 訪問先では
「アンニョンハシムニカ!(こんにちは)」と、たった一言だけ知っている挨
拶をします。 何回目かの訪問先からは「バンガップスムニダ(お会いできて
うれしいです)」と言うといいですよと後輩に教えられて、挨拶が2言になり
ました。(笑)

さて、前述の通り、英語を流暢に話せる人に出会うことはかなり難しく、私が
一生懸命英語で分かり易いように話しても、結局は後輩のお世話になるしかあ
りません。 話が複雑なところに行くと、後輩の出番です。 「ええ?こいつ
本当にちゃんと喋ってるのかな?こんなややこしい事、通じてんのかな?」
(笑)と思ってしまうくらい、訳の分からない言葉を流暢に喋っています。 
相手からはほっとした表情で話が元気良く返って来るので、ああ、通じてるん
だなってわかります。

この後輩の通訳は、実際大変ありがたく、彼の助けがなければほとんどビジネ
スは出来なかったに違いありません。 私は彼に対する感謝の気持ちと同時に
すっきりしないわだかまりが湧いて来るのを感じていました。 くやしいので
す。 あのボンボンだった後輩が、今自分の目の前で自分には全く意味のわか
らない言葉を自由自在にあやつっているのを見て、「なんでコイツにできて自
分にはできないんだ」と、無性にくやしくなったのです。(笑)  別に彼に
敵意を抱いたわけではありません。 昔からお気に入りの可愛い後輩だったの
で、それだけに余計に「このやろ〜〜」と言う気持ちになったのです。 可愛
い後輩に対する甘えですかね?

この気持ちは、仕事の合間に彼が語ってくれた彼の素晴らしかった留学生活、
そして今の充実した赴任生活を聞くにつれ、ますます高まって行きました。 
私自身、若い時にスペイン留学をさせてもらい、スペイン語は不自由なく話せ
るようになったのですから、彼が同じように韓国留学をした事が、どれだけ楽
しくて、どれだけ有意義であったか、そしてどれだけ韓国語を身につけられた
か、それはもう彼のうらやましい話を聞かなくたって誰よりも分かってるので
すから、そのくやしさと言ったら無い訳です。

韓国での第一夜から、それまで決して予想すらできなかった不思議な韓国の魅
力に、自分の持ち合わせていた先入観が肩透かしを喰ってから、見るもの聞く
ものすべてが私の気持ちをあざ笑うかのように私を虜にして行きました。 ち
ょっと表通りから裏に入ったところに並ぶ小さな飲食店、なんとも馴染みがあ
ります。 店の中に入った雰囲気、お店の人達の感じ、やはり懐かしい!知ら
ない初めての国で初めての文化なのに、懐かしいと感じるのは何故なのか、不
思議でなりません。

テーブルに並ぶ見たこともないような小皿の数々。 これがどれを食べてもお
いしい! 不思議です。 どれも初めて食べるし、味も初めて知る味なんだけ
どやはり懐かしいと感じるのです。 抵抗感、違和感がまったくないのです。
どの国に言ってもなんとなく敬遠してしまう料理ってあるものですが、それが
まったくないんです。 こんな事、もちろん生まれて初めての経験です。 ハ
ッキリ分かった事は、何が良くて何のせいでそう感じるのか自分ではまったく
わからないけれど、言葉にはならない懐かしさと強烈に惹きつけられる魅力に
溢れていると言う事だけでした。

私にとって更に決定的な事が起きました。 夜になってソウル支店のみんなと
お酒を飲みカラオケで楽しいひと時を過ごしたのですが、たまたま私の隣に座
ったなかなかの韓国美人のお店の女性が、日本語がとてもうまかったのです。
彼女の日本語のおかげで、初めてプライベートで接した韓国人であったのにも
かかわらず、すっかりと意気投合してしまったのです。 その晩の間に10ほ
どの韓国語のフレーズを教えてもらい、皆にその場でご披露すると、やんやの
喝采、帰りにはすっかり暗記をしてしまっていました。 もう、私は有頂天で
した。 ショックを覚えるほどに魅力を感じてしまった韓国で、2日目には素
晴らしい現地のお友達ができてしまったのですから。

ここまで来ると、私は韓国とはもう「運命のめぐり逢い」としか思えなくなっ
ていました。 実はその彼女はその後もe-mailを随分長い間交わしてくれ、韓
国に行く度に皆と一緒に会ってバカ騒ぎをして盛り上がる事になりました。 
彼女が、ちょうどスペイン留学時代の学生達と同じ役割を果たしてくれたので
す。 私の韓国語をいつも褒めてくれ、そして必要な事はきっちりと教えてく
れる事になったのです。

最後の日の夜、ソウル支店のみんなと再びお酒を飲む事になりました。 私は
後輩にこう言いました。「M君、一年後の今日にまた会おう! ボクはその時
に君に必ず『参った!』と言わせるからね。」 参ったとは韓国語の事です。
「君が1年間の留学で身につけた韓国を、ボクは1年間日本で独学で身につけ
て見せるぞ!」  私は彼に宣戦布告をしたのです。 

帰りの飛行機が金浦空港を発ち、眼下に漢川(ハンガン)とそれにかかるいく
つもの大きな橋に沿ってソウルの街が広がります。 私に自分が如何に無知で
あったかを教えてくれた、懐かしいソウルの街が眼下に流れて行きます。 私
はゆるむ涙腺を思いっきり締めながら、絶対にやるぞ、絶対に成し遂げるぞと
何度も心の中に誓ったのです。

飛行機が1万メートルの上空に達して、さらに韓半島を西から東に横切って、
その姿が完全に視界から消え去るまで、私の顔は窓に押し付けられたままでし
た。

思えば韓国は日本に一番近い外国であります。 日本から西を見れば相手の家
の部屋の中まで覗けそうなお隣さんなのに、私は学生時代に彼らに背を向けて
日本を東に向かって出発してしまったのです。 アメリカ、スペインを経てア
ジアに戻りタイに心を奪われ、そして最後に韓国に到達して目を覚まさせられ
た感じです。 私は30年かけて地球を反対周りに一周してしまったのです。
そして実は私が背中を向けていたすぐお隣に、絶対忘れてはならない国があっ
たのです。

私は、やがて自分が惹きつけられたものが何であるかわかるようになって来ま
した。 韓国を知れば知るほど日本と似ているのです。 感情的にもすごくわ
かりあえるし、あたかも血がつながっているかのような錯覚に陥る事すらあり
ます。 しかし、同時に、ある面では韓国は日本とはまったく異なってもいる
のです。 全く相容れず、さっきまで同じだと思っていた事が信じられなくな
ってしまう事もあります。 まるで同じ家庭で仲良く育った性格の異なる兄弟
のようです。 この信じられないほどの同一性と相反性の共存が、日本人であ
る私を韓国に惹きつけさせたのだと思います。

韓国語を勉強して行くと、その言葉の類似性から、本当に日本と韓国(朝鮮)は
切っても切れないつながりがあるんだと分かります。 好むと好まざるにかか
わらず、韓国(朝鮮)と日本は血のつながった兄弟なのです。 日本人が韓国
に惹かれるとしたら、それはそこが自分のルーツである事を本能的に感じとっ
ているからではないでしょうか。


(4)猛烈なスタートを切った韓国語習得への道

ハングル文字は14世紀に朝鮮李朝の第四代王である世宗大王が、朝鮮半島の
文盲の多さを問題視し、複雑な漢字ではなく、もっと世の民に広く受け入られ
る簡単な文字が必要だと考え、学者たちに命じ考案・制定した文字です。 そ
の為、文字は非常にロジカルに作られていて幾つかのパーツ(○とか−とか□
とか)を組み合わせて基本文字を作り、その基本文字の論理的な組み合わせで
全ての朝鮮語(当時)の発音をカバーできるハングル文字と言う表音文字が出
来上がっています。 

これは学ぶものにとっては非常に有りがたく、将棋版のような升目の表を作り
一番左の縦の列に上から下に順番に10の母音のパーツを書き、一番上の行に
左から右に19の子音の基本文字を並べると、あとは縦横の交わる升に、2つ
のパーツと基本文字を合体させたものを書けば良いのです。 そうして出来た
190の文字がハングル文字の基本形となります。  この190の基本的な
ハングル文字の発音はそのマスの子音+母音ですから、要は10の母音と19
の子音さえ発音を覚えてしまえば、とりあえず基本的なハングル文字はすべて
音読できるようになってしまいます。

実際にはさらに10の複合母音と呼ばれる母音があったり、できたハングル文
字の基本形に、更に母音パーツや子音基本文字を合体させたりで、かなりの数
のハングル文字が組み合わせ上できてしまうのですが、すべてが所詮もとのパ
ーツや基本子音文字の組み合わせなので、それが何段にも組み合わされ合体さ
れていても、基本的な発音はなんとかできてしまうのです。

私は帰国後の最初の一晩で、いい加減な発音ながらとりあえずハングル文字が
読めるようになってしまいした。 もちろん細かい事、例外の発音変化(これ
が結構多くて大変なんですが)は一切抜きの話しですが。 これは直前に手が
けたタイ語からすると本当に夢のような話で、笑いが止まらないと言った感じ
でした。 タイ語を読み書きするのにはかなりの時間(目指すレベルにもより
ますが、胸を張ってできると言えるまで最低でも1年はかかるでしょう)と粘
り強い努力が必要であったからです。

さて、宣戦布告をしてしまった私の韓国語への取り組みには猛烈なものがあり
ました。 本棚にぎっしりと並んだタイ語の参考書を押し分けるようにして、
韓国語の参考書がどんどん幅を広げて行く事になりました。 暇さえあれば書
店巡りをしました。 そして、まだ見た事のない参考書があると全部(全部で
す)まとめて買って来ました。 30冊を超えるようになると、新しい書店を
訪れ、もう(新しい参考書は)無いだろうなと思って書棚を覗いて、もしそこ
にまだ手にした事のない韓国語の参考書を見つけたと時には、まるで怒りが込
み上げて来たかの様な勢いで棚から本を抜き出し、「買占める」のです。 ま
るで意地の張り合いみたいでした。 

別に参考書を買ったからと言っても、それだけでは何になる訳でもないのです
が、これはもう勢いです。 自分は韓国語を全部食べつくしてやろうと思って
いるのに(1年後に後輩が待っていますから)、食べる端から新たな食べ物が
目の前に現れると、「まだ喰い残していたんだ、おまえまだそこにいたのか!
」と、無性に腹が立って、とにかく他の人の目に触れる前に口の中に押し込ん
でしまう、そんな感じです。(笑)  消化できるかどうかもわからないのに
もしかしたら気持ち悪くなって吐き出してしまうかもしれないのに、とにかく
口の中に押し込んでしまうのです。全部食べて自分の血にしなくてはならない
のに、少なくとも目の前に転がっているようでは終わりはない訳です。 宣戦
布告したからには絶対に勝たなければただの敗戦国です。 なりふり構わず突
撃あるのみです。 神風も吹くかも知れません。

かくして、過去のどの言語の学習よりも格段に激しい勢いで韓国語の習得が始
まりました。 タイ語で全くの独習を既に1年以上経験していましたから、自
分では頭への叩き込み方が分かっていましたので、とにかく「頭から骨ごと尻
尾まで」目の前に現れたものは片っ端から口の中に放り込む事にしていたので
す。 そしてちょっと味が飽きたなとか、胸焼けがするなと思ったら一旦しば
らく横に放りだしておいて、違う目新しいものにかぶりつくのです。 そうや
って無理せずに常に自分が食べたいと思うものを、ぜいたくに我侭に選んで喰
い散らかすのです。 気がつくと、いつの間にか、以前に途中で放りだしてい
たものを、今度は実においしく頬張っていたりしています。 味がわかるよう
になったんですね。 違った物を色々食べ散らかしたおかげで。

(次号へつづく)


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随時掲載記事コーナー
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■■ 掲示板

掲示板が増えました。 と言っても同じものを増やした訳ではありません。
サポート・ホームページのメニューを思い切ってバージョン・アップして、皆
さんがお得意の、あるいは興味を持たれている言語のページをたくさん作れる
ように用意しました。

既にアメリカ(英語)、スペイン(スペイン語)、タイ(タイ語)、韓国(韓
国語)、フィリッピン(タガログ語)のページはまがりなりにもありましたが
今後、この言語カテゴリー毎のページをできるだけ拡大して行ければと思って
います。 とりあえず、Russiantsuneさんからはロシア語の、Y
ukiさんからはスワヒリ語に対する前向きな書き込みを頂いていたので、私
が現在ボチボチやっている北京語も加え、ロシア語・スワヒリ語・北京語のペ
ージを作り、それぞれに専用掲示板を設置しました。

とりあえずRussiantsuneさん、Yukiさんにご助力を頂く事に
なりましたが、関心のある方は是非集まって盛り上げて下さいね。 Yuki
さんは早くもスワヒリ語ページの掲示板で「タンザニア回想録」を連載で書き
込みを開始して下さいました。 珍しいお話が聞けそうで楽しみですね。

これらのページは私は全くの初心者以下の無知状態(笑)ですので、是非読者
の皆さんが中心になって作って行って頂ければ嬉しいです。 私は管理人とし
て希望ページの物理的加工作業を担当させて頂きますので。

ご希望の他の言語があれば、どうぞご遠慮なくお申し出下さい。 すぐにガラ
を作り、掲示板までご用意致します。


■■ やはり外国映画は字幕スーパーにしなくちゃ?

NHKの冬のソナタを初めて覗いてみて愕然としてしまいました。 主人公の
二人、特に一番大事(?)なヨン様の吹き替えの声に椅子からずっこけて床に
落ちそうになってしまいました。 なんとも子供っぽく坊やの様なヨン様の声
に、「これは許せない!」と思いました。 実際のヨン様の声は、とっても優
しい中にも男らしい、お兄様らしい、落ち着きのある、頼って寄りかかりたく
なるような(私は男ですから遠慮しますが)雰囲気があります。 あれではま
ったく別の登場人物を見ているようだと感じました。

ユジンの声もちょっとぶりっ子っぽい軽い感じがしました。 彼女の本当の声
は軽い声ではなく、甘いけどちょっと重めの感じの声です。 真綿の様に優し
いけれどしっかりとした男らしいヨン様と、甘い感じだけどすごく落ち着いて
いるユジンとの重みのある愛のストーリーが、すごく軽く見えてしまってちょ
っと我慢ならなかったです。

そもそも「ヨン様」と言う訳し方も全くイメージが崩れてしまいました。 二
人はもっと対等に話をしているし、聞いていてとてもくすぐったかったです。

参考までに、サンヒョクの声ははとてもイメージが合っていました。 それだ
けに主役の声にはとても我慢ができませんでした。

やはり意味がわかろうとわかるまいと、字幕スーパー付きにして、音声は原語
がいいですね。 音声は感覚的、生理的な要素が強いので、文学作品を原語で
読む以上に、原語の大切さを感じました。


■■ 現在実施中の語学に関するアンケートについて

先週は更に5人の方がアンケートにご記入頂けました。 大変ありがとうござ
いました。 ある程度まとまった所で集計して結果を「いろいろレポート」ペ
ージに掲載させて頂きます。

アンケートは随時継続実施しておりますので、お時間の許す方は都合のよろし
い時にご協力を頂けると嬉しいです。 こちらからも直接アンケート記入画面
に飛べます  http://www.ki.rim.or.jp/~jr1maf2/gmyway/anketo.html

それではまた来週! お元気で!


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