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             外国語ing My Way
        情報マガジン NO.000002  2004.6.21配信
 サポート・ホームページ:http://www.ki.rim.or.jp/~jr1maf2/gmyway/
           メール:jr1maf2@ki.rim.or.jp
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これが本メルマガの第2号をお届け致します。 先週の創刊号発刊後にも新規
に購読を申し込まれた方が相当数おられたので、今回に限り、再度創刊号の記
事を再送する事に致しました。
既に創刊号を購読済みの方は、ず〜〜っと画面を下のほうにスクロールして、
「■□■□■□」で区切られた行までお進みの上、第2号の記事からお読み下
さるようにお願い申し上げます。
ご意見、ご感想、ご相談、ご要望、その他なんでもサポート・ホームページ
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(ここからが創刊号に掲載した記事の再送です)

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連載記事:「外国語ing My Way」バイブル・シリーズ(1)
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■ 目 次 ■

はじめに

第一章 外国語のインパクト

 1.覆される常識と価値観 … 無限に拡がる新たな世界

 2.マルチ・リンガルが創る悔いのない価値観と人生

第二章 外国語へのチャレンジ

 1.マスターへの道に年齢は一切関係なし

 2.マスターへの第一歩

第三章 私が辿ってきたマルチ・リンガルへの道

 1.アメリカへの夢と英語への情熱

 (1)幼少時代… 「外国」との出会いと異国への淡い憧れ
 (2)小/中学時代・・・ ラジオ講座と松本亭先生との出会いが決定付けた
    私の英語人生
 (3)高校時代… アマチュア無線との出会いで火を噴いたアメリカへの憧

 (4)大学時代… 炎を上げて激しく燃える英語とアメリカへの情熱

2.スペイン語が開いてくれた未知の世界と人生の革命

 (1)我が人生最大の運命の転機の始まり
 (2)スペイン語習得への道
 (3)崩れ去る価値観 … 自らの革命と「解脱」
 (4)スペイン語を磨き上げてくれたもの  
 (5)人生をゆったり生きる人々
 (6)常識と価値観
 (7)身近に起こった夢とロマンへの共鳴

3.新たな感動が走らせたタイ語へ道

 (1)灯台下暗し … アジアでの新発見
 (2)よみがえる外国語習得への情熱
 (3)再び目の前に拡がった新たな自分の世界

4.自らのルーツを求め夢中で辿った韓国語への道

 (1)何の疑問も持たなかった愚かな先入観へのショック
 (2)かきたてられる自らのルーツへの探求心
 (3)あらためて見えてきた日本人としての自分の姿

5.世界が見えて初めて見えた私の終着駅とフィリッピン語への道
 
 (1)自然に導かれた自分の居場所
 (2)自信に満ちた穏やかな情熱
 (3)更に膨らむ語学力の幅 … 中国語への挑戦

第四章 外国語マスターのポイント

 1.目的意識と情熱のみが武器

 2.マスターへの過程は「自分との闘い」

 3.勇気を持って「使う」ことが自分を救う

 4.目標は何処にあるのか

第五章 外国語で無限に拡がる自分の世界

 1.言葉と感情と行動

 2.言葉が描く世界地図

 3.築きあがる世界観と人生観

 4.マルチ・リンガルが不動にする自分の価値観

おわりに


(注)目次は執筆の段階で変更される事がありますのでご了解下さい

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ここからがいよいよ本文になります
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はじめに

自分の回りにいる英語をペラペラ話せる人たちをみてうらやましく思ったこと
はありませんか? 外国語を駆使して格好よく国際舞台で仕事をしている人、
海外旅行しても言葉が得意だからどんどん現地の人たちの世界に入って行って
貴重な体験をしている人、インターネットで海外のサイトにアクセスして気軽
にブランド品や日本では手に入らないものをショッピングしている人を見て、
自分もそう出来たらいいなぁと思ったことはありませんか?

日本では中学校、高校、大学と10年近い英語教育が施されているにも拘らず
実生活で英語を自由に使いこなしている人がどれだけいるでしょうか? それ
故に「日本の英語教育は受験の為の教育だ。間違っている。」と言った話も耳
にタコが出来る位聞いていると思います。

私は、「日本の英語教育は間違っているとか?」と聞かれれば、「間違ってい
る」と答えると思いますが、必ずしもすべての原因が教育方法にあるとは思っ
ていません。 もっと、日本人の一般的性格・素質・行動様式等に根本的な原
因があるような気がしてならないのです。 それは、そもそも語学の習得とは
何か?と言う事を考えれば見えてきます。 

私は英語・スペイン語・韓国語をかなり自由に話し読み書きし、タイ語も基本
的表現を話し読み書きする事ができます。 更に、現在はタガログ語(フィリ
ピ−ノ語)、中国語を同時に勉強中です。 自分が通って来た外国語習得の道
のりを振り返り、何が一番大切であったか考えてみると、「その国の言葉でそ
の国の人と絶対に話をしたい、コミュニケーションをしたい」と言う強い情熱
を持つ事にあったような気がします。

すなわち、学校でどのような教え方をするか以前の問題として、各個人が外国
語の学習に対してどのような動機を持っているのか、どのような持ち方をして
いるのかが、大切であると思うのです。

本講では、まず私が今までの人生の中でどの様に外国語と関わって生きて来た
かをご紹介し、私が自らの体験の中で得た外国語習得にかかわるノウハウや、
外国語を習得する事により自分をとりまく世界がどのように変わって行くのか
を様々な角度からお話ししようかと思います。 多分に一人よがりの部分が多
いとは思いますが、そこは賢明な読者の皆様に咀嚼(そしゃく)して頂いて、
私のお話しの中から真実だけを汲み取っていただければと思います。 既に外
国語に強い関心を寄せられている皆様にとって、それがひとつの参考になり、
更に皆様自身がそれによって大きな幸せを掴む事につながれば、これにまさる
喜びはありません。
 
平成16年5月25日


第一章 外国語のインパクト

1.覆される常識と価値観 … 無限に拡がる新たな世界

外国語を習得しようと思う方は誰でもそれを使いたい、使って何かに役に立て
たいと言う考えや望みがあるのだと思います。 具体的には仕事で外国語を使
いたい(使わなければならない)、外国の友達と交流したい、外国文化への理
解を深めたいなど、様々な動機があるでしょう。 言葉はコミュニケーション
のツールですから、そのツールの取得によって色々な作業ができるようになる
訳です。

しかし、外国語の習得の効果を考えるときに、そう言った個々の作業の実現だ
けに目を捉えられているとしたら、学校での勉強は試験で良い成績をとるため
と言っているのに等しい気がします。 学校での勉強が、現代社会において知
的に活動し、幸せに生きて行ける為の人間形成の為であるのと同じように、外
国語の習得そのものについても更に大きな観点から認識する必要があります。

私が31歳の時、当時勤めていた大手都市銀行からスペインへの留学を命じられ
ました。 それまでは幼い時からアメリカに憧れて、英語とアメリカ一辺倒で
生きてきた私にとって、それは青天の霹靂の出来事となりました。 詳しくは
後章でご紹介しますが、私にとってはそれはまさに「革命」でありました。 
今まで自分の中に築かれていた世界観が音を立てて崩れて行ったのです。 こ
れが世の中だ、世界だと思っていたものが横に押しやられ、目の前になんとも
魅力に溢れた世界が大きく横たわり輝いていたのです。 あれから20年以上を
経た今でも、あの時のショックは決して忘れる事ができません。

スペイン語を習得するまでは、その存在も知らなかったし、知っていたとして
もとても理解することはできなかったであろう世界が、今や自分にとってなに
よりも捨てがたい胸のときめく存在となり、それまで30年間かかって築き上げ
て来た世界観が大きく変えられてしまったのです。 自分のそれまでの無知さ
に気付き、そしてそれが今救われた事に安堵と至極の幸福感をかみ締めたもの
です。 まるでそれまでの30年間が片目でしか生きて来れなかったのが、その
瞬間から初めて両目を開けて生きる事が出来るようになったかのようでした。

その後、タイ語、韓国語を習得した時も、そして現在学習中のタガログ語(フ
ィリピーノ語)、中国語も、それらを習得する度に、あるいは学ぶにつれ、同
じように自分の前の世界がどんどん大きく広がって来ました。 もちろん、20
年前にスペイン語を習得した時のようなショック感はもうありません。 なぜ
ならば、既に外国語が自分の世界を大きく広げてくれるのを知っていて、それ
を求めてチャレンジして来たからです。 私がスペインと出会う前に認識して
いた世界と、今現在私が認識している世界の大きさが何倍になっているのか良
くわかりませんが、少なくとも小学校・中学校時代の世界(子供の世界)と、
社会人となってからの世界(大人の世界)くらいの差がある、と言ったらお分
かりいただけるでしょうか。

外国語はもちろんそれを使う(作業)の為に習得するのですが、それは私たち
の人生を大きく拡げ、豊かにしてくれる最高のツールであると言う事に着目す
べきであると思います。 そして、とう言った高い次元での意識があれば、外
国語の勉強の苦労なんて、なんと言う事はありません。 楽しくて楽しくて仕
方なくなるはずです。 そして楽しくなったら、信じられないスピードで実力
が付いて行くのを感じると思います。


2.マルチ・リンガルが創る悔いのない価値観と人生

私が英語の世界に没頭していた30歳のころまでは、世の中はアメリカを中心
に見えていました。 やはりアメリカは当時の日本と較べると圧倒的に経済先
進国であったし技術先進国でもあったし、極めて民主的で最大限の権利が国民
の一人一人に許されていたし、人々はとてもおおらかで暖かかったからです。
詳しくは後章で触れますが、当時の私はアメリカを知った事で、人生のバイブ
ルを得ていたように感じていたと思います。

しかし、それがスペインと言う歴史あるラテンの国で暮らし、スペイン語を学
び、彼らの文化を本当に理解し得た瞬間に、過去の価値観が音を立てて崩れ去
り、やがて自分が大事にしていたものは「バイブル」ではなくて「教科書」で
あった事に気が付いたのです。 極めて大雑把に表現すると、アメリカの最大
限の自由(権利)は、最大限の義務と責任によって実現されているのであり、
それは国民が高いモラルを持って常に襟を正して生きて行くことが前提となっ
ていることに気が付いたのです。

ラテンの国では考え方がまるで反対であるように感じました。 人間が教科書
に従って感情や行動を抑制して行くこと以前に、彼らはまず自らが人間である
と認識し、そして人間というものは必ずしも理屈で割り切れる存在ではないこ
と、そしてそれを基本的に容認する事を大切にしているのです。 私はスペイ
ンで自分がそれまでの30年間の緊張感から解放されて自由に飛びまわれるよ
うになったのを感じたのです。

私はその後、10数年を経てタイを知った事から素晴らしいアジアの存在に気
付きます。 そして東洋の素晴らしさに感動し、自分が東洋人であった事に喜
びを感じるようになります。 アジアの国々を次々に知って行く内に韓国とめ
ぐり会います。 その時に、自分は半生かけて地球を反対周りに(東回りに)
一周してきて、実は西回りに目を配ればすぐ隣にいた、日本人が決して忘れて
はならない国があった事を知り深く反省します。

自らのルーツと言うべき韓国を知り理解を深めた後で、自分が一周回って来た
世界をふと振り返って見たときに、かつてない強い確信を以って自分が一番大
事にしたいと思う輝きが目にはっきりと映るようになっていたのです。 何が
あっても底抜けに明るく自由で自然な純朴さに溢れる東南アジアの人々の世界
こそが、私にとっては一番大切にしたい世界であることをしっかりと心で感じ
るようになっていたのです。

既に過去に感動を受け言葉も中途半端ながら身につけたタイもそのひとつです
が、私は底抜けの明るさでは他のどの東南アジアの国の人々にも引けをとらな
いフィリッピンに錨(いかり)を降ろして見ることにしました。 そんな訳で
現在はタガログ語(フィリッピン語)の習得に傾注しています。 そしてこれ
から、自分が錨を下ろしたアジア地域で余裕を持って広く見識と理解を拡げて
行こうと言う考えから、現在同時に中国語の習得にも力を入れています。 こ
こからはもうゆっくりでいいんだと、自信をもってこの地域で自分が死ぬまで
幅を拡げるべく言葉を増やして行けばいいのだと、今はそう感じています。

もちろん、私は世界の全てを見て来た訳ではありません。 また仮に全て見た
としても、別に同じように全てを見てきた他の人たちと同じように感じ、同じ
ような結論に達するとは到底思っていません。 もともと価値観は人それぞれ
です。 だから拡がり方も、拡がる方向も人それぞれな訳です。 大切なこと
はその到達した価値観が個々になんであるかではなく、その一個人が、本当に
何回人生を生き直したとしても、変わらぬその人なりの後悔のない結論に達し
ているかどうかだと思うのです。

井の中の蛙は井戸の中で世界観と価値観を得るしかありません。 だけどその
蛙を井戸の外に出してあげたとしたら、全く違った世界観を価値観を得れてい
たはずです。 我々も、悔いのない人生を送る為に、みずからを広い世界に放
り出す必要があると思います。 

箱入り娘、箱入り息子(?)に育てられ、人生で初めて付き合った異性に、一
目ぼれして結婚するのも決して悪いことではありません。  でももし、あな
たが絶対に憧れるような色々なタイプの素敵な人達が、あなたのそばに何人も
実在することを知っていたら、あなたはどうされますか?

新たな五感となってくれる外国語も、最初のインパクトは強烈です。 それで
落ちてしまう友達もたくさんいるでしょう。 現に身の回りに初めて言った外
国にはまって、生涯それを自らの至上の世界として生きている人はたくさんい
らっしゃいます。  もちろん、それはそれで素敵なことだと思います。 し
かし、私が自分自身の経験を振り返って、ここでお話したいことは、「あなた
がもし欲張りで、どこかのお店でおいしい物を食べてすごく満足しても、すぐ
に、また何処かにもっとおいしい物ないかなぁと思う人だったら、是非ひとつ
の外国語だけに留まらず、できる限り多くの言葉にチャレンジされてみては如
何でしょう」という事なのです。

賢明な読者の皆さんは、マルチ・リンガルは単に言葉のチャンネル数が並列的
に増えると言うことではない事にお気付き頂けたのではないかと思います。 
それらが有機的に影響しあって、あなたの中で確固とした価値観を生み出して
くれるのです。 そしてそれはその言葉の数が多ければ多いほどあなたにとっ
て「真実」に近づいて行けるのだと思っています。


第二章 外国語へのチャレンジ

1.マスターへの道に年齢は一切関係なし

「外国語の習得は若いうちじゃなきゃだめだ」と言う事を良く聞きませんか?
私は自信を以って真っ向からその言葉を否定します。  

もう一度私の外国語習得暦を振り返ります。 学生時代に英語を身につけた後
31歳でスペイン語を習得しました。 次のタイ語は46歳の時でした。 更に韓
国語は48歳から始めました。 そして今52歳の私はタガログ語(フィリピーノ
語)と中国語を順調に習得中です。 英語、スペイン語と韓国語の3ヶ国語に
ついては、色々なシーンで特に不自由もなく使いこなせるレベルです。 注目
して頂きたいのは48歳から始めた韓国語ですら、今やプライベートの生活から
時には仕事上でも使っています。 新聞や本も細かいこと言わなければ辞書無
しでわかるし、手紙書くのも困りません。 日常会話に至っては全くと言って
いいほど困ることはありません。 わかりやすく言うと韓国語しかわからない
韓国の女性と今すぐ結婚して韓国のいなかで生活しろと言われても何も不安が
ない程度です。

「そんな事言ったって、若い時と年取った後とではだいたい記憶力が違うじゃ
ないか! この年で今更新しいことなんか覚えられる訳がないよ。」と言われ
るかもしれません。 それはそうです、人間の頭の記憶力が歳と共に低下して
行くのは避けがたい生理的事実です。 自ら体験し、実証して来た私が言いた
いのは、それを否定する事ではありません。 私が自信を持ってお話ししたい
事は、「記憶力の低下は努力で補えば良い」と言う事です。 若い人と比べて
自分の記憶力が2分の1しかないと思うのだったら、若い人の2倍努力すれば
いいのです。 若い人が1時間で覚えることを2時間かければいいだけの事なん
です。 ただそれだけの事なんです。

だいたい若い人だって外国語はダメだと根を上げてる人がたくさんいるじゃな
いですか。 もっとも大切な事は、「絶対この言葉で、その国の人と話してや
るんだ!絶対コミュニケーションをしてやるんだ!自分はそうなりたいんだ!
」と言う情熱だと思います。 それがない人は、例え若くても語学は身に付か
ないのです。 一般的に歳を取ると語学の習得は無理だと言われるのは、実は
その能力がないのではなく、それを支える情熱が無くなっているからなのだと
私は思っています。 歳を取っていても、そういう熱い思いを持てる人は、黙
っていても若い人の何倍もの努力をしていると思います。 そしてそれさえあ
れば、必ずモノにできるのです。 モノにできるまでの期間が他の人より一年
早いか遅いかが、問題になるでしょうか?


2.マスターへの第一歩

外国語の学習は言わば自分の脳のトレーニングです。 決して学問をするので
はありません。 優秀な脳みそは必要ないのです。 だいたい何処の国に行っ
たって全ての国民がその国の言葉を話しているじゃないですか。 繰り返しま
す。 外国語の習得に優秀な頭は必要ないのです。

外国語の習得が自分の脳のトレーニングだと言う事を自ら証明した私の体験を
お話しましょう。

私にとっての最初の外国語である英語を習得するのには、何年もかかっていま
す。 今の日本の多くの人がそうであるように、中学校、高校の6年間に加え
大学の教養課程2年間と、学校だけで8年間。 私の場合はこれに加え、後で
ご紹介するようにアマチュア無線などを通じてかなりの量の勉強をしました。
仮に全部で10年としましょう。

ところが、2番目の外国語のスペイン語の習得は、なんとたったの1年3ヶ月で
10年もかかって習得した英語とほぼ同等のレベルまでできてしまったのです。
もちろん、スペイン語の場合は実際にスペインに留学した訳ですから、日本で
勉強した英語と比較することは到底できません。 しかしどんな手段を取った
にせよ、あれだけ気合をいれて10年間も必死に勉強した英語に迫ってしまえた
のは何か他にも理由がありそうです。

3番目の外国語はタイ語でした。 タイ語は残念ながら中途にして韓国に狂っ
て韓国語に集中没頭する結果となった為に英語やスペイン語のレベルまでモノ
にできないままでいますが(その内再開するつもりですが)、たった一年間、
それも通勤電車と会社のトイレ、喫煙室でタバコを吸う時間以外は家で勉強し
たことは一度もなかったのにもかかわらず、難しいタイ文字も読み書きできる
ようになり、基本的な会話はかなりできるようになりました。 これは驚くべ
き成果であったと思います。

4番目の外国語である韓国語は、それこそ死ぬ気になって勉強をしましたが、
始めてちょうど一年目に、来日した韓国人(韓国語以外は英語も日本語もまっ
たく話せない方でした)と寿司屋さんで一晩語って飲み明かすまでになってし
まいました。 例えヘタクソでも、まがりなりにも韓国語だけの環境でお互い
に飲み明かせたと言う事は結構驚くべきことではないでしょうか。

現在、中国語とタガログ語(フィリピーノ語)を勉強していますが、これ、考
えてみると結構凄い事かもしれません。 何せ2つの外国語を同時に勉強して
いるんです。 しかも仕事のわずかな合間を縫ってです。 まだまだレベルは
両国語ともド素人レベルでしかありませんが、わずかな時間を見つけて参考書
を開き、眺めているだけでグングン頭に入って行くのが実感できています。

おわかり頂けたのではないかと思いますが、外国語と言うのは1ヵ国語目より
2カ国語目が、そして3カ国語目は2カ国語目より、格段と簡単に短時間で習
得できるのです。 5つの外国語を話す人は、1つしか外国語を話さない人の
5倍の努力と時間を費やしたわけではないのです。 おそらく、せいぜい3倍
ってとこじゃないでしょうか。 人によっては2倍程度であったかもしれませ
ん。なぜでしょうか?

それは、言葉を重ねる毎に、勉強の仕方を覚えるからなんです。 自分自身の
何処をいじめたらいいか分かっていて、極めて効果的・効率的な「訓練」がで
きるからです。 ここで「訓練」とあえて書きました。 実は「勉強」ではな
いのです。 自分の筋肉に運動を覚えさえるスポーツの訓練と全く同じなので
す。 言葉は反射運動です。 考えてから手や足を出しては、とうていスポー
ツの試合にならないのと同じように、どのような局面に於いても自分の感情や
考えに基づいた的確なアクションを取るための訓練・トレーニングが外国語の
習得と言う訳です。

ひとつスポーツができる人は、他のスポーツをやっても飲み込みが早いし上達
も習得も早いですよね。 新しいスポーツを身に着けようと思ったときに、既
に自分が過去にやってきた経験から何をどのようにしたら体が覚えるか知って
いるからです。 言葉もまったくそれと同じなんです。 ただ鍛え、覚えさせ
るためにいじめる身体の部位が、筋肉ではなくて脳みそだという違いがあるだ
けなんです。

成功のポイントは、まず外国語の習得は「勉強」ではなく、「訓練」であるこ
とをしっかりと認識することにあると思います。 この認識の上に立って、ど
うやったら自分にあった訓練(トレーニング)ができるか、そしてそれは何か
らどんな手順で進めて行ったらいいのか分かればもう習得したも同じです。 
あとは時間が解決してくれるからです。 

しかし、訓練であることがわかっても、そしてトレーニングの内容と手順がわ
かったとしても、それだけではまだ成功に確実に結びつくとは言えません。 
実はもっと大切な人間的要素が必要になってきます。 これについては後章に
て具体的に触れて行きたいと思います。

(次号へつづく)


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(ここからが今回配信の第二号の記事です)

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連載記事:「外国語ing My Way」バイブル・シリーズ(2)
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第三章 私が辿ってきたマルチ・リンガルへの道
1.アメリカへの夢と英語への情熱
(1)幼少時代 ・・・「外国」との出会いと異国への淡い憧れ

私と英語との出会いは幼稚園時代に遡ります。 先生に引率されて近くの公園
に出かけた時だったと思います。 賑やかに可愛く騒いでいたのでしょう、私
たちを見てにこにこ笑っている金髪の中年女性の外国人(アメリカ人であった
と思います)がいたのです。 私はどこで覚えていたのか「ハロー」と声をか
けたんです。 そしたら「Hello!」とにこやかに返事をしてくれた姿が
嬉しくて、それがその後永く私の心の中に、まるで刷り込みされたように一種
の憧れとして宿ることになったのです。

時はまだ昭和30年代初頭、戦後わずか10年そこそこしか経っておらず、日
本には占領軍の流れでまだアメリカ人があちこちに残っていました。  実際
都内練馬区にあった我が家の隣は、やたらに敷地が広い、派手な緑がかったク
リーム色のペンキを塗った洋風の館が建っていて、アメリカ人一家が住んでい
ました。 そのアメリカ人一家には調度私と同じくらいの年齢のリンダちゃん
とローラちゃんと言う名の娘が二人いて、毎日良く一緒に遊びました。 

彼女たちの家の大きな子供部屋で、見たこともないアメリカ製のめずらしいお
もちゃで遊んだり、時には我が家に招いて、今度は日本式に庭に置いた、たら
い(洗濯用の大きな平たい桶)に裸になって一緒に水浴びしたりと、日本にい
ながらにして大変めずらしい環境でアメリカと言うものを子供ながらに感じ取
っていました。 先の中年女性との出会いも、もしかしたらこのお隣さんとの
お付き合いの中で自然に覚えた始めての「英語」だったのかもしれません。

リンダちゃんとローラちゃんの両親の寝室は、私の部屋の外の塀のすぐ向こう
側にありました。 何度となくその寝室から夫婦の英語で罵り合う声が聞こえ
てきました。 アメリカ流の激しい夫婦喧嘩です。(笑) 当時の日本で、夫
婦が大声を出して罵り合って喧嘩をするのを耳にする機会はほとんどありませ
んでしたから、これは幼い私のとってはかなり新鮮(?)な出来事でした。 

こうして、隣人のアメリカ人一家のおかげで、私は幼少のころから既にアメリ
カと言う国をすぐ身近に感じるようになっていました。 これは私にとって極
めて幸運な出来事であったと思っています。


(2)小/中学時代・・・ラジオ講座と松本亭先生との出会いが決定付けた私
の英語人生

英語の習得の第一歩は小学校5〜6年生の時に授業で教えられたローマ字でし
た。 私はなぜかそのローマ字にひどく惹かれ、まっさきに覚えてしまいまし
た。 今までと違うその新しい「文字」に、何か胸ときめく物を感じたのです。
その延長線上に、遠いアメリカと言う国を感じていたのかもしれません。 新
鮮に見え隠れするその世界に関心を払わずにはいれなかったのです。

中学校入学と共に英語の授業が始まりました。 その時には既に隣のアメリカ
人一家は本国に帰国し、一緒に遊んだ金髪の娘たちや、更に幼稚園時代から心
に刻まれてきた公園で出会ったにこやかなアメリカ人中年女性の笑顔も、遠い
過去の思い出となっていました。 それが、英語と言う新しい科目を目の前に
した時に、「ああ、これがあればあの懐かしい世界へ自分の足でたどりつく事
ができるんだ」と直感的に感じ取りました。 既にローマ字の学習で同級生の
中でも最も熱心にアルファベット文字に親しんでいた私が、最初の英語の授業
から目を輝かせてスタートダッシュを切った事はごく自然の成り行きでした。

無謀にも私がまず最初にした事は、ある雑誌に載っていたペンパル紹介企業に
申し込みをし、アメリカ人のペンパルを紹介してもらい、文通を始めた事でし
た。 中学校一年生の一学期の出来事です。 This is a pen. しかわからな
い分際で、よくも大胆な事をしたものだと、今なら思いますが、その時はなん
の躊躇もなく飛び込んだ夢に満ち溢れた輝かしい世界でした。 ニューヨーク
近郊のニュージャージー州に住むDeborah Silvermanと言う同年代の可愛い金
髪の女性がその相手でした。

当然の事ですが、相手に満足な手紙を書くことも、もらった手紙を読む事もで
きません。(笑) 私はその時から職員室通いが始まりました。 一年坊主が
そんな大胆なチャレンジをするものですから、英語の先生方は驚異の目で私を
見られ、それこそ誠心誠意助けて下さいました。 書いた間違いだらけの返事
の手紙を辛抱強く添削して下さいました。(ほとんど全部書き直しでした)。 
届いた手紙を一緒に読んで下さいました。 今から思うと、あの先生方の忍耐
強いご指導がなかったら、今日の私はなかったかもしれません。

この段階で私の最も大きな影響を与えたのはNHKのラジオ英語講座でした。
一年生のときはNHK基礎英語、2年生になってからはNHK続・基礎英語と
NHK英会話の講座を一日も漏らさず毎日聴き続けました。 中でも一番決定
的な出会いはNHK英会話で、番組を担当されていた松本亨先生のどっしりと
落ち着いた声と、何を聞いても説得力のある講義で瞬く間に虜になってしまい
ました。 

松本亨先生の自叙伝「私と英語」は、その後の私の語学学習に大きな影響を与
えてくれました。 ひとつは先生が口癖のように言われていた「Think in
English」(英語を話すときは英語で考える)、そしてもうひとつはその為にテ
キストを丸暗記してしまったと言う先生ご自身の体験談でした。

実際のところ、私はそれを全て実践したのです。 中学校3年生を卒業する時
に、私は中学校3年間で使った3冊の英語の教科書を伏せたまま、1年生の第
1ページから3年生の最終ページまで、スラスラと暗誦することができました。
またついでにNHKの各講座のテキストも3年間分丸暗記してしまいました。

ですから英語の試験など笑いが止まりませんでした。 問題を読みながら自然
に答えが口をついて出てきてしまうのですから。(中学校の英語の試験は基本
的に教科書から出ますからね) 従って英語の試験だけはいつもほとんど10
0点でした。

教科書から問題が出される学校の試験だけかと思ってたら、そうではありませ
んでした。 予備校(今の塾)の試験とか受けても、問題を読んだだけですぐ
に答えが頭の中に響いてくるんです。 とにかく楽しくて仕方がありません。
100点とは言いませんが、どこの試験を受けても95点前後の点数は取れて
いたと思います。 別に受験の為の勉強をやった訳じゃないのに、そんな緻密
な勉強ではなくて、荒っぽくとにかく暗記して来ただけなのにです。

とにかく頭を叩けば自動的に英語が口から溢れて出して来るような状態になり
(笑)、英語で問いかけられると条件反射のように何も考えずに答えが口から
飛び出すようになってしまいました。 実はこの「何も考えない」と言う事が
とても大切な事だったのです。 だいたい日本語で何か問いかけられたら、そ
の質問の内容についての考察はあっても、回答をする内容について考える人は
(普通の日常生活の会話の情況では)ない訳です。 つまり、何も考えずに答
えが英語で口から飛び出すと言うことこそが、「(Think in English)英語で
考える」と言う事だったのです。

松本亭先生の「私と英語」の中に、初めて英語で夢を見たときの喜びの話があ
りました。 私もなんとか英語で夢を見れないものかと気を揉んだものです。
(笑) どうしたら英語で夢を見れるのか本気で悩んだこともありました。 
実はそれもやがて実現したのです。 初めて英語の夢から目が覚めた朝、私は
布団から飛び起きて万歳をしました。 本当に嬉しかったのです。

こうして私自身が英語に対して自信に満ちてくると、もう英語を勉強している
だけでは耐え切れなくなっていました。 とにかく話したい。 英語でアメリ
カ人と話したい。 この欲求が日増しに強まって行き、もうどうにもならない
ところまで来ていました。


(3)高校時代・・・アマチュア無線との出会いで火を噴いたアメリカへの憧れ

高校に入学するとクラブ活動の誘いがたくさん来ました。 私は迷わずESS
(英会話サークル)に入ったのですが、生徒同士が英会話している通常のサー
クル活動が、まるで劇の台本の読み合わせをやっているような白々しさでもど
かしく、すぐに飛び出してしまいました。 

ある日のこと放課後学校の屋上を散歩してた時に、屋上の片隅にある小屋の前
を通りかかりました。 突然体中に戦慄が走るのを覚えました。 小屋の中か
ら英語が聞こえてくるのです。 それも日本人の話すインチキ英語ではありま
せん。 あのアメリカ英語のきれいなアクセントの英語が聞こえてくるのです。
中を覗くと生徒が2,3人机に向かって座ってマイクを握り締めていました。
声の主はその机の上に詰まれたものものしい機械のスピーカーから流れて来て
いました。 アマチュア無線部の部室だったのです。 彼らはアメリカのアマ
チュア無線局と交信中だったのです。 アマチュア無線と言う趣味があるのは
知っていましたが、耳にするのも目にするのもその時が始めてでした。

にもかかわらずです、私は次の瞬間に何かに取り付かれたかたのように部室の
中につかつかと入っていました。 先輩達に向かって「アマチュア無線の免許
持っています。入部させてください。」と大きな声で頼んだのです。 もちろ
ん、免許証持っているなんてウソです。 その時の私には善悪の区別をする余
裕などはなく(笑)、目の前に転がっていた「アメリカ」に使命感に近いもの
を感じて飛び込みたいの一心だったのです。

この瞬間に、私の人生にとって良きにつけ悪しきにつけ、絶対にそれなしでは
語れない「アマチュア無線」との付き合いが始まったのです。 

「良き」とするのは、このアマチュア無線で、私は生涯のアメリカ人の恩人に
出会うことになり、日本にいながらにしてアメリカ人が太鼓判を押してくれる
アメリカン・アクセントを身につけることになったばかりでなく、その後も世
界中の国々の人たちとの友達付き合いの媒体となり、その後身に付けたスペイ
ン語を始めとする他の外国語もそれらの国の人達と交信する事によって、語学
レベルを維持・向上させる事ができたからです。 「悪しき」とするのは、そ
れまで常に学年でトップを走っていた優等生であった私が、アマチュア無線に
没頭するあまり本業である勉強をさぼり、成績は奈落の底まで落ちて、大学受
験にも失敗して浪人するはめになったことです(笑)。

入部を許されたその日、その場で大胆にも私は無線機に向かいマイクを握り締
めました。 今から思えば本当に大胆な事をしたものだと思います。 当時の
無線機はかなり大掛かりで操作も複雑で操作もかなりの知識と熟練を要したし
そもそも交信をすると言ったって何をどんな風に話すのか全く予備知識はなか
ったんですから。

慣れない手つきと様子に横でいぶかしげに私を眺める先輩を尻目に、どこで覚
えていたのか、多分その場でやっていた先輩の口調が耳に残っていたのでしょ
うか、今ではまったく思い出せませんが、とにかく一般呼び出しという、CQ
コール(私は●×▲です、どなたか私に応答してくださいと言う内容)を始め
ました。 先輩は「おまえ、本当にヘタだな」と呆れ顔です。 私はそんな先
輩のぼやきよりも、何度目かのCQコールに応答して来たアメリカ英語の男性
の声に釘付けになっていました。 先輩がすぐに相手のコールサインを聞き取
ってメモにコールサインを書いてくれました。 「グアムだ!」と言っていま
す。 呼んできた相手はグアム島にいるアメリカ人の無線局だとわかったので
す。

無我夢中でした。 相手が名前や場所を紹介してくれるのはわかりますが、ア
マチュア無線の専門用語が多く、それ以外のことはまったく何て言っているの
かわかりません。 こうなると私の性格がモノを言います。「相手の言ってい
ることなんかわかんなくたって構うこっちゃない、とにかく自分が話したいこ
とを話すんだ!」と言ったところでしょうか。 自己紹介とか天気だとか、思
いつくことを夢中になって話してスタンバイを繰り返しました。 生まれて初
めて行ったアマチュア無線の交信は、アマチュア無線を始めて目の前にしたそ
の日に何もわからずに無我夢中で行ったグアム島に住むアメリカ人との、内容
としてはほとんど一方通行の交信であったのです。

さぁ大変な事になりました。 今までアメリカに行かなければ実現しないと思
っていた世界が、アマチュア無線の世界ではいとも簡単に実現する事を知って
しまったのです。 

学校の屋上小屋の上には差し渡し10メートル近い大きなアルミパイプで作ら
れたアンテナが上がっており、根元に付けたモーターを小屋の中からのリモコ
ン操作で回転させます。 アメリカは普通のメルカトル図法で描かれた地図で
見ると日本の真東の方向に位置しています。 確かに日本から偏西風に乗って
東へ東へと進めばアメリカに到達します。 しかし、電波は飛行機と同じよう
に最短距離を飛んで行きます。  地球は球体なので、アメリカへの最短距離
の方向は実は真東ではなく北東になります。 (地球儀の上に糸を這わせ、一
方の端を日本、他方の端をアメリカに置いて指で押さえながら、その糸を引っ
張りあってみるとわかります)

そんな訳で私はいつも北東の方角ばかり見上げて暮らすようになってしまいま
した。 北東の空を見上げると地平線の向こうから輝かしいアメリカが見え、
そしてアメリカンアクセントの英語が聴こえて来るようでした。 時には1時
間も2時間も空を見つめて過ごすこともありました。

さて、それからの3年間、私は実に悶々とした日々を送ることになります。 
なんとかして自宅から、自分の部屋から自由にアメリカ人といつでも自由に会
話(交信)がしたいと言う欲求は日に日に高まります。 しかし高価な無線機
を買うお金はありません。 いつの間にか無線の技術雑誌を読みあさるように
なり、ついに父から壊れた白黒テレビをもらい、母からいらなくなったクッキ
ーの缶をもらい、その缶をシャーシ(ケース)にして無線機を作るまでになっ
てしまいました。

もちろん、そんな部品と技術で作った無線機ですから、声で通信ができるよう
なシロモノではありません。 いわゆるトン・ツー(モールス符号)を送受信
する原始的な無線機でした。 ええ?それじゃ英語と関係ないじゃないか!な
んて言わないで下さい。 立派な英語通信機なんです。 但し声ではありませ
ん。 いわば筆談の世界です(今のインターネットのチャットみたいなもので
すね) モールス符号を必死になって覚えて、とにかくアメリカ局との交信が
できるようになったのです。 但し、一文字一文字をあのトン・ツーで送りあ
うのですからスピードは遅く、文章も英字の電報文スタイル(略字…例えば
MessageをMSGと打つとか、ThanksをTKSと打つとか)の交信でした。 しかし
それでも相手はアメリカ人で、立派な英語でのコミュニケーションを、ついに
自宅の自分の部屋からできるようになったのです。 始めて交信に成功したと
きのあの感激は今でも決して忘れることができません。  今ではインターネ
ットで、メッセンジャーみたいのまでありますから、こんなのは朝飯前以下で
すね(笑)  でも当時は、これは大変なハイテクの賜物であったんです。

クッキー缶の上に組み立てた電信送信機(モールス通信機)で、アメリカと交
信できるようになったことは、更に声で通信できない事へのフラストを増長す
る結果となりました。 そのフラストが更に無線の世界にのめり込ませ、日々
悶々とする中、高校の成績は地の底へ落ち、とうとう大学受験に失敗、浪人ま
でする事になってしまったのです。

(次号へつづく)

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随時掲載記事コーナー:「読者の皆さんの声から」
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「今、韓国語に狂っています! ドラマを観て歌を聴き、ハングル語を読んで
書いて、リピートして・・・ でもこの方法で良いのかな? 聴くだけで波を
つかまないと、通じないよとも言われてしまい、いまも自分の言語に取り込む
方法がわからず 苦しくてたまりません」

と、言う情熱がほとばしり出ている書き込みをサポート・ホームページの掲示
板(読者のひろば)に頂きました。

この方は、外国語の習得に一番必要な「その国の言葉でなんとかして絶対に話
したい!」と言う強い情熱を持っておられるので、必ずや成功する方だと確信
します。

さて、学習法を一口で言うことはできませんが、私がこの方にお勧めしたいの
は、「読む、聞く」よりも「書く、話す」を先行させたらいかがでしょうか?
と言うことです。

今回のバイブルシリ−ズの記事の中にも出てきましたが、相手の言う事がわか
らなくても、とにかく自分が言いたい事を表現する事に傾注した方が、結果的
には早くその言語を自分のものにできると思います。

はっきりしているのは、自分が話せる事は、聞いても必ずわかると言う事なん
です。 ところが聞いたらわかる事は、必ずしも話せるとは限らないのです。
日本人の中に、英語を聞いたり読んだりする事はある程度できるんだけど、話
せ書けと言われると万歳だと言う方がどれだけ多いことか。

ずうずうしい性格の人間の方が早く語学を身につけると言われる所以ですね!
(笑)

今回のケースでは、韓国語ですから、身近に韓国人の世界はたくさんあります。
積極的に飛び込んで行ってお友達になるのが一番の近道です。 韓国人の方と
文通をするのはとても実力をつけられると思います。(書く読むが5対5で身
に付けられますものね!)

韓国人の経営する食堂・居酒屋、それも在日韓国人を中心に相手をしている店
は、結構日本全国の都市にたくさんあるようです。(いわゆるホステスの女の
子が相手をしてくれるようなクラブではありません。日本で言えば、定食屋、
居酒屋の雰囲気の店です) そこには韓国人のお客さんも多いし、そのお店の
方と親しくなれることもあるはずです。
実際に韓国に旅行に行って、旅先で出会った人にお手紙を書いて文通を始めた
り、e-mailを交換するようになるなんて言うのも素晴らしいと思います。

そこまでできないと言う方は、インターネットでe-mailを交換できる韓国人を
探すのが手っ取り早いかもしれません。 このマガジンのサポートホームペー
ジにある「e-mail友達出逢いの広場」では数多くのペン・フレンド(キー・フ
レンド?)が生まれています。

とにかく「書く、話す」と言う事は、自分が積極的にアクションを起こすこと
です。 そしてそれは基本的にその国の方とお付き合いをすると言う事なんで
す。 もちろん相手は異性とは限りません(笑)


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